カーネーションは、花の名前ですよね。
カーネーションはナデシコ科のナデシコ属の花なんだとか。
ギリシア語では、「ディオス・アンサス」。それは「神の花」の意味なんだそうです。
母の日には赤いカーネーションを贈るのは、ご存じの通り。
カーネーションには赤もあれば、白もあり、またピンクもあります。
ディナー・ジャケットを着た時には、その襟穴に赤のカーネーションを挿す。なぜなら、燕尾服には、白のカーネーションと決まっているから。
「植物園では、仏相花、ベゴニア、ダリア、カーネーション、それにつつじが満開であった。」
寺田寅彦の随筆『旅日記から』に、そのように出ています。
寺田寅彦は明治四十二年、三十一歳でベルリン大学に留学。その時の便りは『先生への通信』にも収められています。ここでの「先生」は、夏目漱石のことです。寺田寅彦は、夏目漱石の生徒でもありましたから。
ここでの「カーネーション」は、船旅の途中、香港で見たカーネーションなのですが。明治の時代、すでに日本でもカーネーションが識られていたのでしょうね。
イギリスにカーネーションが伝えられたのは、十四世紀のことだったという。
チャールズ一世の妃、ヘンリエッタ・マリアは、カーネーションを育てるのが、趣味であったと伝えられています。
英文学の世界には、「緑のカーネーション」の言葉があります。これは耽美主義のこと。オスカー・ワイルドのこと。
ふつう緑のカーネーションはありません。が、オスカー・ワイルドは緑のカーネーションを作った。緑色のインクに一晩、白のカーネーションを挿しておいて。
オスカー・ワイルドは1892年に、『ウインダミア夫人の扇』という戯曲を発表。
この演劇は1892年の二月に、ロンドンの「セント・ジェイムズ劇場」で幕を開けています。
この時、オスカー・ワイルドは友人たちにグリーン・カーネーションを贈っているのです。もちろん、オスカー・ワイルド自身も襟に緑のカーネーションを挿しています。
なぜ、グリーン・カーネーションだったのか。一説は、当時流行していた、アブサンを想わせる色だったから。そんな話もあるようですが。
🎶ぼくらはみな緑のカーネーションを身につけている
1929年にノエル・カワードは、ミュージカル『ほろ苦さ』の挿入歌に、そんな歌を作っています。この時のノエル・カワードの頭に、オスカー・ワイルドのことがあったのは、まず間違いないでしょう。
カーネーションが出てくる小説に、『キャラコさん』があります。昭和十四年に、久生十蘭が発表した物語。
「スチームでほどよく暖められた社交室のなかは、うっとりするほどに暖かい。窓べには冬薔薇やカーネーションが大きな花びらをひらき、ここばかりは、常春のようななごやかさである。」
これは川奈のホテルでの様子として。
久生十蘭(ひさお じゅうらん)は、筆名。本名は、阿部正雄。明治三十五年四月六日に、北海道の函館に生まれています。
阿部正雄は、昭和四年、二十七歳の時、フランスに留学。昭和七年に帰国。久生十蘭の小説を読んでいてハイカラ気分が味わえるには、そのフランス留学と関係しているのかも知れません。
もう一度、『ハイカラさん』に戻りましょう。
「背に帯のついたスマートな大外套を着て、アッシュのステッキをついている。」
これは「佐伯」という人物の着こなし。
久生十蘭は「大外套」と書いて、「ガーズ・コート」のルビを振っています。
おそらく「ガーズマン・コート」guardsman coat のことかと思われます。
背バンドつきの、着丈の長い、両前外套。英国の近衛兵が着ていたので、その名前があります。
どなたかガーズマン・コートを仕立てて頂けませんでしょうか。