カフカは、フランツ・カフカのことですよね。プラハ出身の作家であります。
カフカ、プルースト、ジョイスを含めて、「二十世紀最大の作家」と形容されることがあります。
カフカの代表作は、『変身』でしょうか。『変身』は、1912年の11月に書かれているのですが。出版は、1915年11月のこと。カフカもまた、その没後に高く評価されるようになった作家。カフカ生存中の評価はそれほど高くはありませんでした。
フランツ・カフカは、1924年6月3日。四十歳で世を去っています。
今、カフカを語る時に忘れてならないのは、親友のマックス・ブロートでしょう。マックス・ブロートも同じく作家だった人物。
1902年、カフカとブロートは十九歳の時知り合って、終生友情をわけあったと、伝えられています。
カフカは人生を終える前、ほとんどすべての著作をブロートに託しています。「必ず焼却のこと」と言い添えて。
でも、ブロートは手紙、日記の類いを含めて、焼くことはありませんでした。
今、カフカの小説などが読めるのは、ブロートのお陰とも言えるのです。
「これはチョッキなどというものではありません。これは魔法のしわざです。こんなにも美しくて暖かいものは、お母さんご自身だけが作れるものです。(中略)これは、いままでぼくが着ていたチョッキより、とはいってもこれも非常にいいものだと思っていたのですが、あらゆる点において、どれほどすぐれていることでしょう。バターをお送りいただいたことも
ー チョッキとは、もちろん相応のへだたりはありますが ー とてもうれしかったです。」
1924年3月15日の、母宛ての手紙にカフカはそのように書いてあります。お母さんの名前は、ユーリエ。お父さんは、ヘルマン。
これはたぶん、お母さんの手編の毛糸のチョッキだったと思われます。
この時のカフカはドイツのベルリンに、恋人のドーラ・ディアマントと一緒に暮らしていたのですが。
当時のベルリンは極端なインフレの時代で、純良バターが手に入りにくくなっていたのでしょう。ところがカフカはバターの質にうるさいお方でもあって。いつもバターの品質に気を遣っていたようですね。
カフカの好みということなら、グレナディン・シロップがあるでしょう。ザクロのジュース。カフカはグレナディンを水やソーダで割って飲むのが、お好きだったらしい。たぶん健康に良い飲物だと考えていたのでしょう。
カフカの叔父さんは、医者で、カフカに菜食主義を勧めた人物でもあります。カフカは基本的に菜食を中心にした食事だったようです。
「ビールを飲むということなら、ぼくも賛成です。」
1924年6月2日の両親宛ての手紙に、そのように書いてもいます。ここから想像するに、カフカはビールもお好きだったらしい。
「父はぼくのよく覚えている流行おくれの、丈の短い、内側にソファーのようにパットが入れてあるフロックコートを着ていた。」
1912年5月6日の『日記』に、そのように書いてあります。
ヘルマン・カフカは、プラハ市内の一等地で、高級洋品店を開いていたお方なのですが。
「ホテルの幹部が黒いモーニングにシルクハットの正装でそばを通ったが、幸いにもロビンソンにはとくに注意を払わなかった。」
カフカの小説『失踪者』に、そのように一行が出てきます。
「モーニング」。もしドイツ語なら、「カッタウエイ」cutaway でしょうか。
「カッタウエイ」は、もともとアメリカ英語。イギリス英語では、「モーニング・コート」となります。
どなたか1910年代のカッタウエイを仕立てて頂けませんでしょうか。