麗子とタフタ

640px-Kishida_Ryusei_Young_Girl_Standing
Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

麗子像は有名ですよね。

もちろん岸田劉生の、お嬢さん。岸田麗子は、1914年のお生まれ。今年、麗子生誕百年になるんですね。

岸田劉生は「麗子像」を何枚も描いています。岸田劉生が麗子をモデルに絵を描きはじめるのは、大正六年頃のこととか。『林檎を持つ麗子』が比較的はやい例であるとか。

「昨夜はよく眠る。おそく目覚む。麗子も沢山描いたのでちょっと水彩にも素画にも材料として興味起こらず。」

『劉生日記』の、大正九年三月五日( 金 ) にはそのように書いています。さすがにご本人でも呆れるほどに描きに描いたということなんでしょう。そんなこともあって、『劉生日記』への興味は尽きません。

「秋らしくなった。セルを着てうすいシャツを着る。」

大正十ニ年九月二十三日 (日 )の日記には、そう出ています。「セル」は、着物地。セルはもともとオランダ語の「セルジ」 serge から来たもの。つまり今のサージとも関係しています。セルジを「セル地」と解して、「セル」となったわけですね。

この日、岸田劉生はなにをしていたのか。東京、日本橋に出ています。

「パウリスタでコーヒーなどのみ……」

パウリスタは当時有名だった喫茶店。少なくとも岸田劉生は、大正十ニ年にコーヒーを飲んだこと、間違いないようですね。コーヒーが出てくる小説に、『従妹ベット』が。バルザックが、1847年に発表した物語。

「妙なコーヒーだが、あの女がコーヒーだというのだから仕方がない。」

登場人物のひとりにこう語らせています。バルザックはコーヒー通でもありましたから、こんな科白も出てくるのでしょう。また、こんな描写も。

「金ボタンを上のほうまですっかりはめた青い上着や、琥珀織の黒いネクタイなどを見ればすぐにわかるのである。」

これは洒落者の、ユロ男爵の着こなし。「琥珀織」は、タフタでしょうか。

タフタのタイを結んで。『麗子像』を観に行きたいものですが………。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone