光琳はもちろん、尾形光琳ですよね。
江戸、元禄期の、多彩な芸術家。その光琳が心酔したのが、宗達。光琳は、宗達の模写をしているほど。
俵屋宗達。俵屋は、京の扇屋の屋号だったと、考えられています。が、宗達は謎。ほとんどよく分かってはいないんだそうですね。
一方、光琳についてはいくつかの話が遺っています。その中でも有名なのが、花見。光琳の後援者であったのが、中村内蔵助。京の富豪。
中村内蔵助は光琳を誘って、花見に。嵐山の桜を。花見といえば弁当で。内蔵助はもとより豪華絢爛の弁当を用意している。これに対して光琳の弁当は、竹の皮に包んだ握り飯。光琳はその握り飯を食べ終わると、竹の皮を川に捨てる。
ある人がふとその竹の皮を見ると。その裏に、金襴の絵が描かれていたという。
パリで光琳を買う話。『ゴンクール日記』に出てきます。
「光琳の傑作、金の漆の筆箱を二千フランで買ってしまったのだ。金の花と螺鈿の葉のついた菊が内側と外側を覆って、一面に蒔き散らされている、驚くほど芸術的な異国趣味の品である。」
1884年3月10日 ( 月 ) の日記に、そんなふうに出ています。また、『ゴンクール日記』には、こんな話も。
「ダイヤ数個入りの、皇帝のイニシャルNをつけたネクタイピンをウセーに与えたそうで、ウセーはそれを公式のセレモニーの折には大切に着用している。」
「ウセー」は、アルセーヌ・ウセー。フランスの作家。ある時、ウセーはナポレオン三世を助けたことがあるんだそうです。
光琳に褒めてもらえそうなピンを探しに行くとしましょうか。