稿料は、原稿料のことですね。世の中の原稿料は、いったいどのように計算されるのでしょうか。
原稿料はふつう、四百字詰原稿用紙が基準になるようです。四百字詰原稿用紙一枚につき、いくら………。まことに分かりやすい計算法であります。
では、原稿用紙を使わない諸外国ではどうなるのか。一語につきいくら、というのが多いらしい。たとえば。
I love you .
と書いたなら、四語になる。ピリオドも一語と計算して。仮に一語一ドルとするなら、四ドルということになります。
1934年頃の、アメリカでの原稿料。一語一セントというのが、多かったそうですね。今、『コーネル・ウールリッチの生涯』を開いて、お話しているのですが。フランシス・M・ネヴィンズ Jr 著の。
1930年代のアメリカは、いわゆる「パルプ・マガジン」の黄金期。とにかくアメリカ全土で、ざっと150誌ものパルプ・マガジンがあったそうですから。あまり上質ではない紙を使っての、活劇話。それで、「パルプ・マガジン」と呼ばれたわけですね。
およそ150のパルプ・マガジンに対して、その寄稿者は1,300人ほどいたという。もちろん男性ばかりでなく、女性の執筆者もいたらしい。で、これらのパルプ・マガジンの原稿料が、一語一セント前後。
ところが、かの有名な『ブラック・マスク』は、一語につきニセントから四セントの原稿料であったという。なるほど。それで後に有名になる作家たちが、『ブラック・マスク』から出ているわけですね。ダシール・ハメットしかり、レイモンド・チャンドラーしかり。
1931年『ブラック・マスク』10月号に発表されたのが、『死の接吻』。もちろん、ウイリアム・アイリッシュ。『死の接吻』は、ある男のカラーをめぐって、事件が…………。1930年代のことですから、当然、ハイ・カラー。当然、ハード・カラー。当然、ディタッチト・カラー。付け襟なんですね。洗濯に出すにも、襟だけを別に。このカラーのクリーニングだいが一枚、五千ント。つまり五語分の原稿料だったわけです。
もしも原稿料が上がったなら。ハイ・カラーの、ハード・カラーの、ディタッチト・カラーのシャツが一枚欲しいものですがね。
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