カーナビー・ストリートは、ロンドンのブティック街ですよね。1960年代のカーナビー・ストリートは、モッズ・ルックの聖地として崇められたものです。ここに店を開いたジョン・スティーヴンが大成功となったのは、ご存じの通り。
カーナビー・ストリートではなく、フォア・ストリートに店を開いたのが、ルイス・トマリン。「ドクター・イエーガース・サニタリー・ウーレン・システム」が、店名でありました。もちろん今の、「イエーガー」であります。
1880年に、ルイス・トマリンは、ドイツ、グスタフ・イエーガー博士の著書を読む。そこにはウールが人間の身体に良い影響を与えると、書いてあって。そこで羊毛下着の専門店を開いた。これが、大成功。オスカー・ワイルドやジョージ・バーナード・ショオなどもこぞって買いにきた。
日本人でも、斎藤茂吉は「イエーガー」の愛好家だったという。破れても破れても、つぎをあてて、十年も二十年も着た。斎藤茂太著『茂吉の周辺』に、詳しく出ています。また、『茂吉の周辺』には、こんな話も書いてあります。
「父はふだん、カフスボタンの代用に観世縒りなどを使い、決して立派なカフスを用いようとはしなかった。」
「父」とあるのが、斎藤茂吉であるのは、言うまでもないでしょう。「立派なカフスボタン」をたくさん持っているのに、「観世縒り」を使った。
観世よりは、紙縒のことです。観世よりは室町時代の中期、観世流四世、政盛がはじめたとのこと。観世 流で、烏帽子の懸緒に、紙縒を使った。それで「観世より」の名前が生まれたんだそうですね。
観世よりはたしかに、カフ・リンクスの代用になるでしょう。そしてまた、使い捨てのカフ・リンクスでも。粋なものですね。さすが、イエーガーの愛用者だけのことはあります。