紅茶は、美味しいものですよね。紅茶はもちろん、ティー。tea。
tea は中国の「茶」から来ているわけですから、ぐるっとひと回りして、もとに戻った感じさえあります。
英語の「tea」のそもそものはじまりは、1598年のことではないかと、考えられています。オランダの探検家、リンシュウテン著『リンシュウテンの旅』の中に、茶の話が出ています。その綴りは、「chaa 」。このchaa からだんだんと、teaへと変化していったのでしょう。
紅茶がお好きだった方に、江藤 淳がいます。江藤 淳には、随筆集『夜の紅茶』がありますから。江藤 淳は『夜の紅茶』の中で。
「私はなおも紅茶を味わい、その香りを愉しむ。そうするうちに、いつの間にか、私は現在をさまよい出て、過ぎ去った日のことを考えたりしている。
では、なぜ江藤 淳は紅茶派だったのか。ひとつの想像として、永井荷風の影響かも。江藤 淳は荷風の尊敬者でもあったらしい。『荷風散策』の著書がありますから。『荷風』の副題が、「紅茶のあとさき」なんですね。
江藤 淳はどうして『荷風散策』に「紅茶のあとさき」を選んだのか。永井荷風が紅茶好きだったから。
「静な日の昼過ぎ、紙よりも薄い支那焼の器に味ふ暖国の茶の一杯に、いささかのコニヤツク酒をまぜ……………」。
随筆集『紅茶の後』に、そのように、出ています。というよりも、なぜ『紅茶の後』という題にしたのかの説明として。
ここから推し量るに、荷風散人は、コニャック入りの紅茶がお好きだったみたいですね。
紅茶が出てくる小説に、『大いなる遺産』があります。「大いなる遺産』は、英國の文豪、チャールズ・ディケンズの名作。読み方によってはディケンズの自伝でもあります。この中に。
「私が黄いろい紅茶茶わんを片方のひざにのせ、もう一方のひざにまったく手をつけないパンをのせてじっとしているのを見ていた。」
これは主人公の、ピップがまだ少年の頃の話。たぶん1820年代のことなんでしょう。1820年代の英國ではすでに、一般家庭に、紅茶が浸透していたものと、思われます。また、『大いなる遺産』には、こんな描写も。
「私は種子類とコールテンのズボンとが奇妙に似ているのを発見した。」
種を扱っている店の主人が、「コールテンのズボン」を穿いていて。そのコールテンと、種の匂いが似ているのに、ピップが気づく場面。
1820年代の仕事人もまた、コールテンのズボンを穿いていたのでしょうね。
コールテンという時の「テン」は、天鵞絨のテンなのです。つまり、畝のあるビロウドと考えてのこと。
さて、コールテンの上着を羽織って。美味しい紅茶を飲みに行くとしましょうか。