ブルーマーは、今でも現役なんでしょうね。ブルーマーはもちろん女子の体操服であります。ふだんは学校の制服なんですが、体操の時間になると、ブルーマーに着替えたわけですね。
ブルーマーは、広く知られているように、人の名前から生まれています。アメリア・ジェンクス・ブルーマー。ここから正しくは、「ブルーマーズ」b l o om ers と呼ばれるわけです。でも、ブルーマーズを考案したのは、アメリア・ジェンクス・ブルーマーではありませんでした。彼女はその新しいスタイルに共感し、広めることに力のあった人物なのです。
ズボンの裾口を紐で結ぶ式のズボンを発明したのは、エリザベス・スミス・ミラー。1851年頃のことです。エリザベス・スミス・ミラーは、庭仕事に便利なように、足頸のところで、暇結びにしたのです。このスタイルに注目したのが、ブルーマー女史だったのです。つまり最初のブルーマーは、足頸の長さまであったわけですね。
このアメリカでのブルーマーに膝を打ったのが、井口阿くり。井口阿くりは、明治三十二年に留学。ここで、ブルーマーに遭遇。「これだ!」と思ったのでしょう。井口阿くりが、明治三十六年に帰国して以来、ブルーマーの普及に努めたんだそうです。
ブルーマーが出てくる小説に、『挽歌』があります。
「その夫人のからだに、オレンジ色の毛糸のドレスとブルーマー姿の幼い娘がまつわりついていた。」
これは「桂木」という家を訪ねた時の様子なんですが。また『挽歌』には、こんな描写も出てきます。「『挽歌』は、昭和三十一年に発表された、原田康子のベストセラー。
「桂木さんは、製図台も上の蛍光灯を消し、背広の上にマフラーと毛皮のジャンパアを重ねた。」
これは冬で、場所は釧路。寒いんですね。なるほど。ファーのブルゾンもまた、良いかも知れません。