バイロンで、詩人でといえば、かのロード・バイロンでしょうね。本名は、ジョージ・ゴードン・バイロン。男爵の家系だったので、ロード・バイロンとも。
「ある朝目がさめたら有名になったいた。」
もちろん、バイロンの有名な科白であります。1812年に詩集『チャイルド・ハロルドの巡礼』を発表して、拍手喝采。この時の印象を語ったものです。
バイロンは実際に旅をしています。ポルトガル、スペイン、ギリシア、トルコ……………など。
バイロンはギリシアでは、ダーダーネルス海峡を泳いで渡っています。では、どうしてバイロンは、ダーダーネルス海峡を泳いだのか。これはギリシア神話の、リアンダーが泳いで渡ったという故事に因んでのこと。
ダーダーネルス海峡は、むかしはヘレスポントス海峡と呼ばれたもので、たしかに向う岸が見えるほどの距離ではあるのですが。バイロンは必ずしも健脚ではなかったお方で、よくもまあという感じであります。
バイロンが出てくる小説に、『美少年』が。ダフネ・デュ・モーリアの創作。
「窓はホテル・バイロンのような鎧戸式の窓ではなく………………………」。
「わたし」は英国人の学者で、その「わたし」がヴェニスを旅する物語。ホテル・バイロンに泊まるものの、地元の男に勧められて、宿を移る場面。
学者で、ヴェニスで、美少年でといえば誰しも、『ヴェニスに死す』を想い浮かべるのですが。事実、ダフネ・デュ・モーリアは、トオマス・マンの『ヴェニスに死す』のパロディーを狙ったふしがあります。モーリアの『美少年』には、こんな描写も。
「雑嚢に突っ込んであるステッキとこうもり傘とバーバリー・レインコートから目をそらす………………」。
これはヴェニスで船に乗った時の「わたし」の様子。イギリス人が旅に出るなら、バーバリーのレイン・コートを携えるのは、むしろ当然でしょうね。
バーバリーは、1856年の創業。トオマス・バーバリーによって。それで一軒の生地屋としてはじまっています。多くに生地の中で、さらなる防水地を求めた結果が、今のバーバリーなのです。