科白は、語りのことですね。映画や演劇で役者が喋る言葉。あれなんかは科白の代表でしょう。仮に、
「我、汝を愛す」
と言ったとしても、それが「科白」である限り「演技」なのであります。虚構は虚構ですが、演技上必要なものですから、単なるウソではありません。いや、虚構の言葉であるからこそ、科白には迫真が求められるのでしょう。そこが役者ならではの藝であります。
科白は台詞とも書きます。セリフでありせりふでありましょう。
「むかし一言の白、一目の介もて、萬人に幸福を與へしおん身なるを。」
森 鷗外訳『即興詩人』に、そのような一節があります。森 鷗外は、「白」と書いて、「せりふ」と読ませているのですが。明治の頃には「白」を「せりふ」とも読んだらしい。
要するに「科白」ではあっても、それで聴く人に幸福を与えることもある、という意味なのでしょう。余談ですが。森 鷗外訳の『即興詩人』は、あらゆる日本語の文章の中でもっとも美しい、との説があります。少ないとも私自身はその意見に賛成です。
科白はまた、口上でもあります。
♬ ケッコー毛だらけ猫灰だらけ………(中略) ………
一声千円といいたいねオイ! ダメか?八百! 六百! ようし! 腹切ったつもりで、五百両と、もってけ! 泥棒!
これは代表的な口上。むかしのテキ屋の科白でありました。もともと五百円で売るつもりだったわけですから、やはりこれも「科白」には違いありません。
戦後まもなく子どもの頃、よく耳にしたものであります。
テキ屋は映画『寅さん』でよく知られているところです。『寅さん』の監督が、山田洋次。
2008年10月30日。山田洋次は、「愛知淑徳大学」で、講演。会場に着くと。
「珈琲を下さい」。そう言ったという。
この日の講演は、名調子、大好評。
実は、その前日、10月29日に山田洋次は愛妻を死の病で、入院させています。本来なら、講演を断ったかも知れない。でも、山田洋次はひと言も病や死のことは口にはしなかった。
これもまた、「無言の名科白」でしょう。
同じ年の11月8日、よし恵夫人、永眠。
寅さんの足許は、まず例外なく、雪駄。ほんとうは「せつだ」でしょうが、訛って「せった」。むかしのテキ屋は実際、雪駄履きは珍しくありませんでした。
一説に。雪駄は、千 利休の発明だとか。雪の日に、茶室に入るのに、雪を持ち込まない用心に。
利休もまた、「無言の名科白」に事欠かないお方だったようですね。