デュックとティロリアン

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デュックは、フランス語で「公爵」の意味なんだそうですね。英語だと「デューク」d uk e でしょうか。このデュークが海を渡りますと、「デュック」 d uc 。
日本でも昔から、「公 侯 伯 子 男 」 という言い方がありましたよね。貴族の位に。公爵の上はもう「王」くらいですから、とても偉い。逆に、男爵の下にも、「准男爵」というのがあったらしい。英語なら、「バロネット」でしょうか。
フランス語の「デュック」は、1080年頃から用いられているとのことですから、古い。
また、ファッションに近いところでは、「デューク・オブ・ウインザー」。もちろん、ウインザー公爵。もと、エドワード八世だったお方ですね。
フランスの「デュック」が出てくる小説に、『ドルジェル伯の舞踏会』があります。レイモン・ラディゲが、1923年に書いた物語。

「デュックとは、広告や商標に、文字の洒落で、公爵の冠印をつけていた人物である。」

二十世紀のはじめ、巴里に「デュック」という銘柄の香水があったんだそうですね。
レイモン・ラディゲは、1903年6月18日に生まれています。
ラディゲと親友だったのが、ジャン・コクトオ。コクトオに言わせますと。ラディゲは、十八歳で、『ドルジェル伯の舞踏会』を書きはじめたとのことです。
また、『肉体の悪魔』は、ラディゲ、十六歳で筆を執ったという。今、『肉体の悪魔』も、『ドルジェル伯の舞踏会』も、フランス文学の古典となっています。
ラディゲが、世を去ってのは、1923年12月12日。1923年12月9日。コクトオは、ラディゲに会っています。ラディのはコクトオに、言った。

「三日後に僕は神の兵隊に銃殺されるんだ。」

ラディゲは、その言葉通り、12月12日に。ちょうど二十歳でした。
『ドルジェル伯の舞踏会』には、こんな描写も出てきます。

「一個のチロル帽が悲劇の中心になるなどということは承認しがたいから、気がつかないのだ。」

「チロル帽」は、たぶんティロリアン・ハットのことなんでしょう。1920年頃の巴里にも、ティロリアン・ハットがあったものと思われます。
さて、ティロリアン・ハットをかぶって、『ドルジェル伯の舞踏会』の初版本を、探しに行くとしましょうか。

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