新橋は、東京、港区にある地名ですよね。新橋駅にはいろんな電車が走っています。
とにかく明治五年に鉄道がはじまっているんですから、古いですね。
🎶 汽笛一聲 新橋を……………。
ご存じ『鉄道唱歌』の歌いはじめであります。私にとっても新橋は、懐しい場所。新橋にはよく通いました。1970年代はじめの頃。その時代鎌倉に住んでいて、横須賀線で、新橋へ。新橋には『メンズクラブ』と『男子専科』の編集部があったので。原稿を届けるために。
「…………………毎日新橋の停車場へ行く男について、平生から一種の好奇心を有つてゐた。」
夏目漱石が、明治四十五年に発表した『彼岸過迄』の一節に、「新橋」が出てきます。
これは、「森本」という人物について。「森本」は、新橋の停車場に勤めているわけですから、まあ、それも当然なのですが。
「敬太郎」はなぜか「森本」に関心があって。「森本」とは、朝風呂で顔を合わせる程度なのですが。
今は、「新橋駅」と言いますが。漱石の時代には「新橋停車場」だったのでしょうか。そういえば、漱石の小説には、「襯衣」の言葉がよく出てきます。「襯衣」と書いて、「シャツ」と訓ませたわけですね。
つまり英語のsh irt に対して、「襯衣」の宛字を考えたものなのでしょう
「………………稍披開けた胸の間からは眞中で釦紐を懸合した綿ネルの襯衣が見える。」
明治四十一年に、生田葵山が発表した『都會』にも、そのように出ています。もっともこの場合は、「綿ネル」とありますから、純然たる下着としてのシャツだったと思われるのですが。
「古ぼけた紺の背廣から、白い襯衣の襟をのぞかせて、毛繻子らしいネクタイを結んでるその様子が……………。」
豊島与志雄が、昭和九年に発表した『道化師』でも、「襯衣」の言葉が使われています。
シャツにもいろんなシャツがあるのでしょう。その数多いシャツの中でも、やや風変わりなものに、「ヘア・シャツ」h a ir sh irt があります。ここでのヘアは馬のヘアのこと。つまり馬の鬣を織り込んだ生地によるシャツ。
いわゆる「馬巣地」であります。高級註文服には、馬巣地は芯地として使われることがあるものです。が、シャツとは聞いたことがありませんね。
ヘア・シャツ。これは戒律の厳しい修行僧が、修行のために着るシャツなのです。ちくちくとした肌を刺す感触もまた修行のひとつというわけなのでしょう。
ヘア・シャツ。修行。修行のためのシャツ。
十九世紀の紳士も、修行していたのでしょうか。ハイ・カラアの、ハードカラアのシャツを着て。
たしかに絹のシャツは快適です。でも、修行にはなりません。私のように心がゆるんでいる者は、時にはヘア・シャツならぬハイ・カラア、ハード・カラアを着るのも良いかも知れません。
どなたか十九世紀ふうのシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。