シャネルは、ココ・シャネルのことですよね。
本名は、ガブリエル・シャネル。「ココ」は自分で名づけた愛称でもあったのです。
シャネルの偉大さは、交友の高さにあります。たとえば、コクトオ。たとえば、ピカソ。
当時の一流の創造者と対等につき合った、ほとんど唯一の服飾デザイナーでありました。
瀕死のラディゲの許に医者を送ったのも、シャネルでありました。もちろんコクトオからの依頼でもあったのですが。
ラディゲへの医者は一例ですが。コクトオはコクトオで、シャネルに対していろんな頼みごともしているようです。コクトオは鬼才であり天才でありましたから、シャネルとしても最新の文学事情にも触れることをも意味したに違いありません。
1910年代末のコクトオの「事件」は、『パラード』でありました。コクトオが脚本を書き、演出もした前衛バレエのこと。ディアギレフのバレエ。
脚本がコクトオ、音楽がサティ、舞台美術がピカソというのですから、まさしく「前衛」そのものであったでしょう。
『パラード』は当時、毀誉褒貶もありましたが、何度も再演されています。
1920年代からは、『パラード』の衣裳はシャネルが担当しているのです。
「いよいよという最後の瞬間にシャネルは衣裳を ー 即興的に ー タータン地やジャージ地のざっくりした端切れを使って仕上げた。王妃の衣裳は簡素なドレープで、シャネルはその王妃の肩のうえに自分のコートをさりげなくかけてやった。」
『評伝 ジャン・コクトー』には、そのように出ています。
1922年10月20日の『パラード』公演の日に。アンドレ・ブルトンとその一行がやって来た。なんとか話題の『パラード』をぶち壊したいものだ、と。その時、コクトオはどうしたのか。
コクトオは舞台の中央に立って、芝居気たっぷりに「科白」を語ったのです。
「立ち去るがよい、ブルトンよ………………あなたが場内から去られたのち、我々は舞台を続けよう………………」
さすがのアンドレ・ブルトンも劇場を出るしかなかったという。
「装置のためにシャネルが見つけてきたのは青紫のビロード地だった。」
『評伝 ジャン・コクトー」にはそんな話も出ています。
ヴェルヴェットにもいろんな種類があって、「シフォン・ヴェルヴェット」。
「しかし、今夜、黒いシホン・ベルベットのコートを羽織り、うすみどりのモヘアのショールに、半ば顔を隠すようにして……………。」
昭和三十年に、井上友一郎が発表した『銀座二十四帖』に、そのような一節が出てきます。
井上友一郎は、「シホン・ベルベット」と書いているのですが。
2012年に、近藤史恵が書いた小説に、『シフォン・リボン・シフォン』があります。
どうして『シフォンzリボン・シフォン』の題かと言いますと。とある下着店が舞台背景で、その店の名前が、「シホン・リボン・シフォン」なのです。女店長は、水橋かなえ。若い女性がランジェリー・ショップの名前に選びたい夢のある生地であり、名前でもあるのでしょう。
シフォン ch iff on はもともとは、フランス語。1608年頃からのフランス語なんだそうですから、古い。
フランス語のシフォンは、古代フランス語の「シぺ」ch ip e から出ているとか。その意味は、「ボロ」であったという。ボロから気品ある薄絹になった一例でしょうか。
どなたかシフォンでシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。