ウールは、羊毛のことですよね。
羊の毛の繊維ですから、羊毛。つまりは、ウールであります。
ウールの特性は数えきれないほどあるでしょう。ただ、スーツなどを仕立てることに限って申しますと、「イセ」の効くことが、なにより特徴です。
「イセ込み」などというではありませんか。麻や綿、絹などは「イセ」に適しません。が、ウールに熱と力を加えることによって、かなり変形させることが可能なのです。
言い換えれば、あらかじめ曲面を作っておくことができるのであります。これは服を仕立てる上での、大きな利点と言って良いでしょう。
日本でウールがごく一般に用いられるようになったのは、明治からのことと考えて、大きな間違いではないでしょう。
では、日本人がはじめて西洋式の、紡績工場を見たのはいつのことだったでしょうか。さあ。
「………羊毛ノ紡織場ハ二千八百九十一カ所…………。」
久米邦武著『米欧回覧実記』に、そのように出ています。久米邦武は、「羊毛」と書いて、「ウール」のルビを添えてあるのですが。
これは明治四年のこと。少なくとも日本人が最初にふれた大規模のウール工場であったに違いありません。
また、『米欧回覧実記』には、こんな文章も出てきます。
「羊毛ノ業ハヤヤ力ヲ要スルニヨリ婦童少シ………」
つまりウール以外の繊維工場では子供や女性が少なくなかったものと、思われます。
「………珍しい紋章学の話を、家柄の自慢とともに、ウールの靴下をはいて、薪をストウヴに焚いているミセス・チャアチルから聞いた。
宮本百合子が大正十五年に発表した『伸子』に、そのような一節が出てきます。これは1920年代のニュウヨークが背景になった小説。
これは「伸子」の友人が、「ヴィクトリア時代の生活をしている人」として、「ミセス・チャアチル」を紹介してくれている場面として。
「………着ている服の生地のウールが繊毛で柔かく描き出した厚みのある曲線に示されていた。」
大佛次郎が、昭和二十三年に発表した『帰郷』にも、ウールが出てきます。これはひと言で言って、「ドレイプ」にふれての形容かと思われます。
大佛次郎の『帰郷』を読んでいますと。
「………標準型で、ショウウインドウ趣味なんですよ。崩すことも作ることも知らないのだ。」
ある「画家」の科白を借りて、そのように書いています。大佛次郎が『帰郷』を書いてからざっと七十年以上経っているのですが。それでも。私の耳には痛い言葉です。
靴下が出てくるミステリに、『郵便配達人の疾走』があります。スゥエーデンの作家、
オーサ・ラーソンが、2014年に発表した物語。
「「独り身のスペットは靴下を繕っていた。ストーヴの節気弁にもkが一足干してある。」
これはもしかして、ウールの靴下ではないでしょうか。
オーサ・ラーソンの『郵便配達人の疾走』を読んでいますと、こんな描写も出てきます。
「雪片は狼の毛皮の外套にひとつ、またひとつと眠たげに降り立ち、毛皮のロシア帽の上にこんもりと白い小さな丘を作った。」
「ロシア帽」は、毛皮帽子のことですね。冬のロシアで、毛皮帽子は必要不可欠のものでしょう。身体で暖められた空気は多く、頭から抜けていきますから。
ロシアはロシアでは、「ウシャンカ」と言います。いざという時には、耳覆いが下ろせるのが、特徴。ちょっと日本の「重箱」に似ていなくもありません。ただ、ふだんは、耳覆いも上に上げておくのですが。
どなたか日本でかぶりたいウシャンカを作って頂けませんでしょうか。