タイプライターとターンバック・カフ

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タイプライターは、懐かしい機械ですよね。並んでいる文字のキイを押すと、それが活字となって紙に印字されるもの。
今、タイプライターで原稿を書く作家は、少ないでしょうね。タイプライターよりまだしも、手書き派のほうが多いのではと、思われるくらいのものです。
でも、十九世紀末から、1970年代までの、ざっと百年間はタイプライターが筆記機械の主役でありました。とにかく「タイピスト」という、それ専門の職業があったくらいなのですからね。
実用的タイプライターの登場は、1873年の「レミントン」の、「タイプ・ライター」だったと、伝えられています。「タイプ・ライター」の名前は、「レミントン」が命名したものだったのです。
「レミントン」はそれ以前には、ミシンを作る会社だった。タイプライターと洋服、まったく無関係でもないようですね。
「レミントン」の「タイプ・ライター」の成功は、文字の配列にもあって。それは、Q、W、E………………と並んでいた。つまり、今のコンピュータと同じ並び方だったのです。
『タイプライター』は演劇にもあって。1941年に、ジャン・コクトオが書いた戯曲が、『タイプライター』。この『タイプライター』に、マキシムと、パスカルの二役で出演したのが、ジャン・マレエ。
当時、巴里に、アラン・ロブローという演劇評論家がいて。ジャン・コクトオの人気が悔しくて、悔しくて。『タイプライター』をなんとしても、貶そうと。
1941年4月29日、『タイプライター』の初日。アラン・ロブローは、来ない。観たくもなかったのでしょうか。
しかし、次の日の記事に、酷評。「観るに耐えない演劇である」と。
この観ないでの辛辣な記事に怒ったのが、ジャン・マレエ。「会ったら、タダじゃおかないぞ」と。
ある日の夜。芝居が終って、隣のレストランで、コクトオと一緒の食事。と、レストランの主人が、「紹介したい人がいる」。会ったところが、アラン・ロブロー。約束通り、ジャン・マレエは、ロブローに一発お見舞いしたという。
ジャン・マレエ著『美しき野獣』に出ている話なのですが。ジャン・マレエの自伝、『美しき野獣』には、コクトオにはじめて会った時の印象も出ています。

「とても優雅だった。彼の優雅さは、気取りないその身なりからではなく、彼自身から発するものだった。背広の袖口は、彼のほっそりした手首のところで折返されていた。」

文中、「彼」とあるのが、コクトオであるのはいうまでもないでしょう。
コクトオはいつも上着の袖口を折返すのが、お好きだった。これもまた、一種の「自家製ターンバック・カフ」なのでしょうか。
上着の袖口に、折返しを添えることを、「ターンバック・カフ」と呼びます。
まあ、タイプライターを打つには便利かも知れませんが。

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