ぶどう酒は、ワインのことですよね。ぶどうを原料に、それを醸して、造るわけですから、「ぶどう酒」に決まっています。
ブドウ酒とも、葡萄酒とも書いたようですね。
でも、今の時代には、「ワイン」。仮に私がとある食堂に入って、「ぶどう酒を一杯下さい」と言ったなら、ちょっと怪訝な顔をされるんではないでしょうか。
「赤のグラス・ワインを一杯!」のほうが、はるかに無難でありましょう。
日本語の「ぶどう酒」の歴史は、古い。少なくとも中世にすでに、「ぶどう酒」の言い方はあったらしい。南蛮船がそれを運んで来たからです。
もっとも古い時代のことですから、「ぶだう酒」と書いたようですが。
古い時代の「ぶだう酒」は、白ワインのことだったのですね。
なぜなら、赤ワインは、「チンタ」と区別されていたので。
当時の日本人にとっては、「チンタ」があって、「ぶだう酒」があったのでしょう。
チンタは、宛字で「珍沱」とも書いたという。これはポルトガル語の「ヴィーノ・ティント」から来た言葉。「色のついたワイン」。これを耳で聞いて、「チンタ」となったものでしょう。
ところで、「ぶだう酒」がいったい何時から「ワイン」になったのか。
1960年頃、私がはじめて飲んだのは、紛れもなく、「ぶだう酒」でありました。つまり、1960年代はじめまでは、「ぶだう酒」の言い方が一般的だったのです。
「私がある時、セント・クレア氏と一杯のブドウ酒を飲んでいたとき………」
モオムの短篇『十二人目の妻』に、そのような一節が出てきます。
日本語訳は、龍口直太郎。翻訳そのものは、昭和二十年代末でしょう。
龍口直太郎は、モオムがワインと書いているところを、「ブドウ酒」としているのです。
要するにその時代には、「ブドウ酒」が優勢だったものと思われます。ということは、ぶどう酒とワインとが逆転して、「ワイン」に馴れ親しんだのは、1980年代ではなかったでしょうか。
モオムの『十二人目の妻』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。
「………若い男たちがブレザー・コートを着て海岸通りをぶらつき………」
これは避暑地、「エルソム」での光景として。なお、『十二人目の妻』は、1924年の発表。
1920年代のブレイザーが、海浜着のひとつでもあったことが窺えるでしょう。たぶん一重仕立てのブレイザーだったと思われれます。
どなたか一重のブレイザーを仕立てて頂けませんでしょうか。