次郎とシール

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

次郎は、男の子の名前によくありますよね。
たとえば、長男が太郎なら、その次男は「次郎」だとか。
つまり、次郎はだいたい次男だと考えてよいでしょう。
次郎の変形と言ってよいのでしょうか。「佐藤与次郎」。
佐藤与次郎は、幕末の洋服師であります。幕末の洋服師のハシリ。今の「洋服語」の多くを整理整頓したお方でもあります。たとえば、「セビロ」だとか。
幕末の洋服師を調べていて気づくことは、「金次郎」だとかの「次男」らしき名前の多いことです。まあ、江戸時代には、長男は家を継ぐことが多かったでしょうからね。
日本での洋服史は「次男」ではじめられた。そうも言えるでしょうか。

「次郎は逗子の家も焼かれるだろうからと、僕の一家を引きとるべく、納屋を改造して、戦争が済むまで、明けて待ってくれた。」

今日出海著『私の人物案内』に、そのような一節が出てきます。
ここでの「次郎」が、白洲次郎であるのは、言うまでもないでしょう。
戦争中、今日出海の自宅は東京にあって、戦災にあった。逗子に別宅もあったのですが。
白洲次郎は、今日出海の住むところを心配してくれていたのです。
今日出海は、今 東光の弟。白洲次郎とは、「神戸中学」での同窓生。白洲次郎は神戸中学から、イギリスの「ケンブリッジ大学」に進んだことは、よく知られているところでしょう。

今日出海の『私の人物案内』には、「渡辺一夫」の話も出てきます。今日出海は、東京大学の仏文で、渡辺一夫と同級だったので。
大学時代の渡辺一夫は、ただただ勉学の人だったという。いつもいつも夜遅くまで、研究書を読み耽っていたそうです。
これを心配したのが、先生の、辰野 隆。むりやり渡辺一夫を引っ張り出して、旅に連れて行ったという。
今日出海が、小林秀雄と、清水 昆と三人で、京都に旅した話も出てきます。

「………昆ちゃんのアザラシの鞄が網棚に一つ粛然とのっている。」

清水 昆は、京都旅行にアザラシの鞄を持って行ったので。
アザラシの鞄は、雨にも強い。また、盗難にも会わないと、信じられているとか。
アザラシは、「シール」sea l。
どなたかシールの鞄を作って頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone