ビルは、ビルディングのことですよね。ビルは建物のことであります。
「ビルド」が「建築」ですから、「ビルディング」が建築物になるのも当然なんでしょう。
明治四十二年に、夏目漱石が発表した小説『三四郎』にもビルディングが出てきます。
「一寸好い景色でせう。あの建築の角度の所丈が少し出てゐる。木の間から。ね。」
これは「野々宮」が「三四郎」に説明している場面。漱石は「建築」書いて、「ビルディング」のルビを添えています。漱石の頭の中にはたぶん「ビルディング」があったのでしょう。
「僕は右側のビルディングの次第に消えてしまふ人を見ながら、せつせ往來を歩いて行つた。」
芥川龍之介が、昭和二年に発表した短篇『歯車』に、そのような一節が出てきます。
明治の頃には、主に「ビルディング」だったのかも知れません。が、時代とともに、昭和のあたりから、「ビル」と短くなったものと思われます。
ビルが出てくる随筆に、『甘酸つぱい味』があります。1957年に、吉田健一が発表した読物。
「ビルの建て方一つにも現れてて、大阪の御堂筋の建築などは殆ど戦後に出来たものに違ひないのに、既に大阪の空気に溶け込んで落ち着いて見えるのが」。そんな一節が出てきます。
吉田健一は「ビル」と書いてあるのですが。昭和も戦後になると、「ビル」の言い方が一般だったのでしょう。
吉田健一に美食随筆が多いのは、ご存じの通り。そして吉田健一製の美食随筆は、上質です。
吉田健一製美食随筆を読んでおりますと、第一によだれが出てきて。第二に、金輪際、美食については書くまい。そんな決心をさせられます。あまりにもお上手なので。
「大体が小鯛といふものが上品な味でその味があるかないかである所に特徴があり、これを上手に生かして鮨に作つてあるのだから旨いに決つてゐる。」
これは大阪の「雀鮨」についての文章。吉田健一が1971年に発表した『私の食物誌』に収められています。この『私の食物誌』は、日本各地の美味についての、吉田健一の見解を述べたもの。まずは美食文学の代表とも言えるものでしょう。
吉田健一の『私の食物誌』には、昔のロンドンの話も出てきます。吉田健一は長くロンドンに住んだお方でもありますからね。
「ウィッスラアはあの画風で極めて器用に画筆を運ぶので、真白な天鵞絨の仕事着に染み一つ付けずに朝の仕事を終へるとそのままの恰好で毎日このカフェ・ロオヤルに昼の食事をしに来たさうである。」
ここでの「カフェ・ロオヤル」は、十九世紀末、ロンドンで一流とされたレストランのこと。また、「ウィッスラア」は、英國の絵師、ジェイムズ・アボット・マクニール・ホイッスラーのことでしょう。
1872年に描かれた『自画像』にも、ホワイト・ヴェルヴェットの上着姿が出ています。
どなたか白いびろうどの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。