列車とレダーヤッケ

列車は、トレインのことですよね。列車の旅は愉しいものです。
「トレイン」はまた、おしゃれ語でもあります。train
と書いて「トレイン」と訓むのですが。もちろん「長い裳裾」のこと。ウエディング・ドレスにもトレインがあります。十九世紀以前の貴婦人は皆、トレインをひいたものであります。
それはともかく、列車の愉しみは、窓の外にもあります。ごく自然に外の景色が移り変ってゆくので。
また、車内にあっては、食堂車。移動しながら食事が愉しめるのですから。朝に、昼に、夜に。
今、食堂車は減る傾向にあります。昔は列車での旅といえば、食堂車がつきものだったのですが。
食堂車の誕生は、1868年のことだと考えられているようですね。アメリカのジョージ・M・プルマンが登場させた食堂車「デルモニコ」が、そのはじまりだ、と。
では、1686年前の、食堂車以前はどうだったのか。食堂車の歴史よりも、列車の歴史のほうが古いのですから。
食堂車の前は、駅での休憩時間に取ったのだそうですね。
ひとつの例ではありますが。「ハーヴィー・ガールズ」。これは1876年に、アメリカのフレデリック・ヘンリー・ハーヴィーがはじめたので、その名前があります。トピカ駅での駅食堂の女給の名前だったのです。フレデリック・ヘンリー・ハーヴィーは、駅での女給に、質素な服装を。また、品行方正をも求めて。でも、その代わり、給料を良くした。上質の料理には、上質のサーヴィスが必要だ、と。
その結果、ハーヴィー・ガールズの人気は高まって。中には富豪と結婚するハーヴィー・ガールズもいたという。
コーヒーは二時間ごとに淹れ代える。当時のアメリカ西部では一日に、二回のコーヒーが常識だった時代に。このトピカ駅での食堂は、大成功。
ハーヴィーは、1878年には、カンザスシティの「フローレンス」にあった鉄道レストラン買ったとのことです。そんなことから、その時代にあっては、「ハーヴィー」は高級レストランの別名でもあったそうですね。
そのハーヴィーでの人気メニュウには、「ロングアイランド産の小鴨のロースト」があったとのことです。また、前菜としては、「新鮮な小エビのカクテル」もあったという。

「食堂車の附いてゐる車であるのに、持つて乗ったビイルの栓を抜いて、革包からコツプを出して飲んで、折詰のサンドヰツチをむしやむしや食つてゐる。」

森 鷗外が、明治四十二年に発表した短篇『魔睡』に、そのような一節が出てきます。
時代は明治四十年の頃ですから、食堂車は連結されていたに違いありません。

列車が出てくる小説に、『遺失物管理所』があります。
2003年に、ドイツの作家、ジークフリート・レンツがv発表した物語。

「脇の小部屋の、貨物の積み下ろしホームが見える窓の前で、彼はパウラ・ブロームに会った。」

『遺失物管理所』は、読んで字のごとく、駅の遺失物係が物語の背景ですから、列車が出てくるのも、当然でしょう。また、『遺失物管理所』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。

「集合写真ではよくわからなったが、他の連中と同じように革ジャンを着ていた、そして牧師も革ジャンを着ていたのだ。」

これは「フーベルト」という男の服装について。
「革ジャン」。ドイツなら、「レーダーヤッケ」
lederjacke でしょうか。
どなたドイツふうのレーダーヤッケを作って頂けませんでしょうか。