メルトン(melton)

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貴毛地

メルトンは羅紗の一種である。いや典型的な羅紗と言って良いものだ。
メルトンは一度織り上げた後、縮絨に縮絨を重ねる。その後、起毛を施す。
縮絨とはワインにたとえるなら、蒸溜であろうか。ワインを蒸溜することで、ブランディが生まれる。メルトンもウール地を蒸溜 ( 縮絨 ) することによって、完成する。
今日でも本格的なピー・ジャケットには、メルトンが欠かせない。というよりも「メルトンとは何か?」と問われるなら、「正統なるピー・ジャケットを見よ」が、正解になるだろう。
ピー・ジャケットのみならず、昔の外套などには多くメルトンが用いられたものである。
メルトンは、メルトン・モーブレイの地名に因んだものだ。メルトン・モーブレイ Melton Mowbray はイングランド、レスター州の地名。
「メルトン・モーブレイ」は今も料理の名前に遺っている。それはひと口に表現するなら、ミートパイである。もちろんメルトン・モーブレイにはじまった郷土料理。
メルトンでもうひとつ有名なのが、「メルトニアン」 Meltonian 。今も「メルトニアン」という銘柄のシュー・ポリッシュがある。が、はるかそれ以前に、靴磨き剤で知られていたのだ。おそらく十九世紀のはじめには、「メルトニアン」はあった。では、なぜメルトンとシュー・ポリッシュとが関係しているのか。
十九世紀初頭のメルトン・モーブレイは、フォックス・ハンティングの名所であった。当時の貴族たちが、この地で狐狩りを愉しんだのだ。そして彼らの乗馬靴、ハンティング・ブーツを磨くためのワックスが必要だったからである。
そして貴族たちのハンティング・ウエアの生地が、「メルトン」だったのだ。つまり最初のメルトンは狩猟服用だったのである。と、同時に初期のメルトンにはビーヴァーの毛が用いられたという。
メルトンは遅くとも、1820年代には生まれていたものと思われる。ややそれより遅れて、「メルトニアン」が生まれている。
メルトン・モーブレイの地名は、十二世紀に遡る。その時代、この地に、「ドゥ・モーブレイ」 de Moubray という一族が住んでいた。ここから「メルトン・モーブレイ」の地名は生まれている。
メルトンから生まれた生地に、「メルトネット」 meltonette がある。これはやや薄手のメルトンのこと。婦人用のコートなどに使われたものである。メルトンはそれほどに愛用されたことを物語っている。そしてまたメルトンはそれほどに重厚で、緻密な生地だったのだ。

「メルトンはメンズ・ウエア用に仕上げられた丈夫この上ない生地である。」

コールフィールド、スウォード 共編『ニードルワークの辞典」 ( 1882年刊 ) には、そのように説明されている。1880年代には、ハンティング・コートだけでなく、もう少し幅広い用途があったものと思われる。

「メルトニアン・ダンディを想わせる、フォックス・ハンティング式の、真紅のイヴニング・コートを着ている。」

1901年『エディンバラ・レヴュー』1月号の記事の一節。少なくとも「メルトニアン・ダンディ」の表現のあったことが窺えるであろう。もちろんその生地もメルトンであったに違いない。
二十世紀のダンディで想い出す人物に、ウインザー公がいる。ウインザー公がはじめてシンプソン夫人に会ったのは、1931年1月10日と記録されている。その場所は、メルトン・モーブレイ、「ファーネス邸」であったのだ。1930年代にあっても、メルトン・モーブレイは貴族的な別荘地という印象があったわけである。

メルトンが本格的に日本に齎されたのは、明治に入ってからのことである。

「男は鍔広の黑の亜米利堅帽に、紺メルトンの二重外套を着て、葉巻を燻らし……」

内田魯庵著『くれの廿十八日』 ( 明治三十一年 ) には、そのように書かれている。これは小説に描かれた「メルトン」としては比較的はやい例かと思われる。

「歳は何れも三十歳位で、一人は黑のメルトンの両前背広に同じズボンで……」

小杉天外著『初すがた』 ( 明治三十三年 ) の一文である。つまり紺のメルトンもあり、黒のメルトンもあったのだろう。また二重廻しにもスーツにも使われたに違いない。

「小野さんの胴衣の胸には、松葉形に組んだ金の鎖が、釦の穴の左右に抜けて、黑ずんだメルトン地を背景に、燦爛と輝いてゐた。」

夏目漱石著『虞美人草』 ( 大正六年 ) にも、そのように書かれている。チョッキがメルトンということは、おそらく三つ揃いなのであろう。
今、メルトンのスーツがあったならいっそ新鮮ではあるまいか。

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