洋行と外套

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むかしは海外旅行のことを、洋行といったんだそうですね。海外ということは、海を船で渡る。だから、洋行。今ならさしずめ「空行」でしょうか。
夏目漱石が洋行したのは、明治三十三年九月八日のこと。横浜港から、ロイド社の「プロイセン号」に乗って。
この時、夏目漱石を見送りに行ったひとりが、寺田寅彦。

「先生は一人少しはなれた舷側にもたれて身動きしないでじっと波止場を見下していた。」

寺田寅彦著『夏目漱石先生の追憶』には、そんなふうに出ています。この時、漱石はなにを考えていたのか。句作にふけっていたんですね。この時、プロイセン号の甲板で詠んだのが。

秋風の 一人を吹くや 海の上

「漱石」はもともと俳号だったわけですから、句を詠むのは当然でもあるでしょう。
ある時。寺田寅彦は夏目漱石に質問した。「俳句とは何か?」これに対する漱石の答え。
「扇の要である」
そしてこの時。ひとつの例として挙げたのが。
「秋風や 白木の弓に つる張らん」だったという。これは向井去来の句なんだそうですが。
ところで、夏目漱石の服装はどうだったのか。

「先生は江戸ッ子らしくなかなかのおしゃれで……」

新しく服を仕立てた時など。寺田寅彦に「どうだ見てくれ」というようなこともあってそうですね。
寺田寅彦は、熊本第五高校の生徒だった時。漱石から英文学を教わっている。その時の漱石の様子を。

「黒のオーバーのボタンをきちんとはめてなかなかハイカラで、スマートな風采であった。」

漱石の黒い外套。どんなスタイルだったのか。
なにかクラッシックな外套を着て。洋行したいものですが……。

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