脚下豊麗
シューズは靴のことである。もう少し丁寧に言い換えるなら、「短靴」であろうか。
シューズに対して「ブーツ」 boots があって、これは「長靴」 ( ちょうか )を指す。シューズに「長靴」は含まれないからだ。
シューズとブーツをひとつにして呼ぶなら、「フット・ウエア」であろうか。
シューズはふつう複数形として使われる。ブーツやソックスがそうであるように。左右一対で役立ってくれるからであろう。その単数形が、shoe であるのは言うまでもない。たとえば「靴箆」が、「シュー・ホーン」となるように。
シューズもまたアメリカとイギリスとでは、その意味するところ、微妙に違う。ひとつの例として挙げるなら、足首までの深さの靴を何と呼ぶのか。アメリカでは一般に「ブーツ」となる。が、イギリスでは「シューズ」とすることが多い。その昔イギリスに「ハイロウ」 highlow の表現があった。これは「アンクル・シューズ」のことであった。しかし今はほとんど使われることがないようだ。
イギリスでの「シューズ」は、950年ころから用いられている言葉であるとのこと。古くは「シュー 」 scoh をはじめとして数多くの綴りがあったという。これは古くドイツ語の「シュー」 schuh と関係があるだろうと、考えられている。
人は靴なしで生きることはできない。そこまで極論しなくとも、道を歩くにはなんらかの靴があったほうが快適である。おそらく人類の歴史はじまって以来、靴、もしくは靴の代りとなるものがあったに違いない。
英語に、「コンフォータブル・アズ・アン・オールド・シューズ」の慣用句がある。これは実際には「安楽」の意味になる。たしかに「履きなれた靴」は快適であり、気楽である。「オールド・シューズ」を単に「古靴」と解してはならない。
また、「キャスト・アン・オールド・シュー」 の言い方もあるという。それは「人に対して幸運を祈る」の意味である。自分の履きなれた靴を投げることは、人の幸運を祈ることなのだ。
私の後ろから履きなれた靴を投げてくれ
私にはすべてのことが愉快でならない
これは十七世紀、英国の詩人であり劇作家でもあった、ベン・ジョンソンの詩の一節である。ということは、履きなれた靴を投げる習慣の古いことを窺わせるものであろう。今なお、ハネムーンに旅立つ車の後ろに靴を下げるのは、おそらくその名残りであろうと、思われる。つまり履きなれた靴がいかに大切なものであったか。それは今の時代でもまったく変りない。
ところで靴が靴らしくなるのは、やはりヒール ( 踵 ) が付くようになってからであろう。靴に踵が付くのは、十六世紀のことである。
もっともフラット・ソールのシューズに流行がなかったわけではない。それは革やヴェルヴェットの地に、金銀、色とりどりの刺繍があしらわれたものである。また、金銀の装飾品を飾ることもあったという。
中世の特徴的なシューズに、「クラコー」crakow があった。クラコーはシューズの爪先が極論に尖ったスタイルのものであった。ポーランド、クラコーの町に住む、ある貴族が履きはじめたので、その名前がある。それはほとんど歩くのに難儀するほどに長い爪先であった。が、クラコーは1470年ころ、突然に終焉。時の英国王、エドワード四世がクラコー禁止令を出したからである。「いかなる靴屋といえども二インチ以上の靴を作ってはならぬ」とのお触れを出したことによる。
英国王と靴との関係でいえば、エドワード一世も忘れてならない。そもそも靴のサイズの源を決めたのは、エドワード一世。大麦三粒を並べた長さを、「一インチ」としたのである。1305年のことである。そしてさらに大麦十三粒分の靴を 「13」とした。小さな子供用の靴を。ここから「14」、「15」……と数えるようになったのである。
少し話は飛ぶのだが、1860年ころになって靴のスタイルが進化する。靴紐の採用である。イングランド、オックスフォードの靴屋がはじめたところから、今に「オックスフォード・シューズ」と呼ばれるのは、ご存じの通りである。最初は純然たるスポーツ・シューズで、やがて広く用いられるようになったのだ。
また、アルバート公が考案したものが「バルモラル・シューズ」。スコットランド、バルモラル城近辺を散歩するための靴としてであった。
1971年6月10日。エディンバラ公、フィリップ殿下は五十歳の誕生日を迎えられた。この時、多くのお祝いが寄せられたこと言うまでもない。そのお祝いに対する返礼として、次のように述べられた。
「私がこのように健康でいられる理由のひとつは、いつも履き心地の良い靴を愛用しているからだろうと思います。」
シューズは人間にとっての宝物である。