左岸は、左側の岸ですよね。これが「リヴ・ゴーシュ」となると、パリの、セエヌということになります。右岸はもちろん、「リヴ・ドゥロー」。
「パリっ子は右岸でお金を使い、左岸で頭を使う。」
そんな言い方があるんだそうです。頭と関係があるのかどうか、左岸の名物のひとつに、「ブキニスト」があります。古本屋。古本屋と言っても実際は大きな箱で、箱の中に古本が入っている。箱を開けると、たちまち棚になり、店になる。店が終わったなら、箱の蓋を閉じて鍵をかけて、おしまい。実にうまく考えられています。
あのブキニスト、1850年代くらいまでは、店の前にちょっとした椅子があったそうですね。馴染みの客がやってくると、椅子に座って、世間話を。で、本を買ったり買わない買ったりしたのでしょう。
時代とともに、椅子が消えるようになって。最後まで椅子を出していたのが、「フランス」という本屋。フランスの本屋だから「フランス」ではなくて、フランスという姓だった。というよりも、アナトール・フランスのお父さんの店だったという。
アナトール・フランスが1895年に発表したのが、『エピクロスの園』。『エピクロスの園』に想を得た芥川龍之介が書いたのが、『侏儒の言葉』だったと、言われています。
『エピクロスの園』の中に、アナトール・フランスがアルフレッド・ド・ヴィ二に会った時の様子を書いています。アナトール・フランスが十七歳の時というのですから、1861年頃のことでしょう。場所はラルカド街の図書館で。
「わたくしは彼がカメオで頸に留めた黒繻子の厚いネクタイをして、縁の丸い折り返しカラーをつけていたのを決して忘れることはないだろう。」
ここでの「厚い」とは、上質の絹を指しています。その時、アルフレッド・ド・ヴィ二は黒いサテンのネクタイを結んでいたのでしょうね。