ピノキオとパルト

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

ピノキオの物語は誰だって知っていますよね。もともとは木の人形の、男の子。それがいたずら坊やで、時に大冒険、大活躍する話です。
ピノキオは、イタリアの作家、カルロ・コルローディの作。カルロ・コルローディは、筆名。本名は、カルロ・ロレンツィー二。1826年、フィレンツェに生まれています。
ピノキオの話は、コンメディア・デ・ラ・ルッテの影響を受けています。古くからイタリア各地にあった民話が基になっているのです。
コルローディの「ピノキオ」は、当時の子供新聞に連載。1881年7月7日が第一回だったと伝えられています。コルローディは「ピノキオ」の十五回目で、おしまいに。ところが読者、つまり子どもたちの大反対にあって、その後も書き続けることになったのです。
昔、阿佐ヶ谷駅の北口に、「ピノチオ」という中華料理店があったそうですね。大正末期の話なんですが。「ピノチオ」は当時としてはハイカラな店で。料理人は、王 陽賢といったそうです。その時代としては珍しく、生ビールが飲め、スコッチが飲めた。
この「ピノチオ」の経営が、永井二郎。永井龍男の兄弟。そんなことから、永井龍男も「ピノチオ」を手伝ったことがあるらしい。
永井龍男が昭和二十六年に発表した短篇に、『夜の鯉のぼり』があります。この中に。

「極く薄地のパルトウを、軽く肩に羽織って…………」。

「パルトウ」は、パルト paretot のことでしょう。もともとは古い時代の、フランスの男が愛用した、マント風の軽快なコート。
もう一度、「パルト」を流行らせようではありませんか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone