ビールとビロード

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ビールは美味しいものですね。ことに、最初のひと口が美味い。あの「最初のひと口」を、常に、永遠に保つのは、ビールの理想でありましょう。
ビールがお好きだったのが、北大路魯山人。また、人にビールを飲ませるのが好きでもありました。魯山人は朝のいちばんから友人を食事に招いた。朝、北鎌倉の魯山人邸に着くと、風呂が沸いていて。
「さあ、風呂に入りなさい…………」。
風呂あがりの客に、まずビールをすすめたという。また、魯山人はビールの注ぎ方についてもそうとうに煩かったそうですが。
明治のビールについては、百閒が書いています。内田百閒のことですから、「麦酒」となっているのですが。

「その時分の麦酒は葡萄酒の壜の様にキルクの長い栓がしてあつた。」

これは百閒が子供の頃の話。たぶん明治三十年代でしょうね。百閒のお父さんは、久吉で、岡山のつくり酒屋だった。そのお父さんと一緒に金比羅詣りする話。それが、『麦酒』なのです。当時のことですから、田の口港から船で、高松に渡る。その時なぜか、お父さんは麦酒を携えていて。
その頃の田の口港には赤煉瓦が敷いてあって。そこに麦酒壜が落ちて割れる。『麦酒』はこんな風に閉じられる。

「岸壁の日向に流れた麦酒の香りも。五十年後の自分のコップの中から思ひ出す事が出来る。」

ああ、名随筆はこんな風に終わるんですね。

「朝食がわりにビールを。」

この一行からはじまるミステリが、『時計は三時に止まる」。クレイグ・ライスが、1939年に発表した物語。この中に。

「ビロード襟のチェスターフィールド・コートを着ていたこと、籐製のステッキを持っていたこと、そして手入れのゆきとどいた小さな口髭をはやしていたきとがわかった。」

いわゆる、「ドレス・チェスターフィールド・コート」。よくブラック・ヴェルヴェット・カラーになっていたりするものです。コートだけでなく、黒ビロードの上襟は優雅なものですね。

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