フランスとフランネル

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フランスには名所旧蹟が多いですね。第一、「フランクリン・ルーズベルト」だとか、通りの名前自体が名物でもあります。また、街を歩いていても、家並みに看板が掛かっていたり。「何の誰兵衛、◯年から◯年まで、ここに住まう」などと。これなどをぜんぶ含めると、パリだけでも、名所ばかりになってしまうでしょう。
パリの名所のひとつに、「オペラ座」があります。シャルル・ガルニエの設計なので、「パレ・ガルニエ」と呼ばれることあるんだそうですね。音楽愛好家ならずとも、一度は訪れてみたい場所でしょう。
オペラ座は実は巨大な建物で、複雑怪奇。それはガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』に詳しいところ。ミッシェル・サザラン著『パリ・オペラ座』でも、そのことを否定しているわけではありません。この『パリ・オペラ座』によれば、その裏側ではざっと500人の人が働いているという。もちろん、その時々の出演者は別としての話。たとえば、電気係だけでも、55名が常時働いているらしい。また、オペラ座には記録係もいるらしい。◯月◯日には、どんなことがあった、とか。記録をつけておく係。
1987年2月16日。ルチアーノ・パヴァロッティが、『愛の妙薬』を歌った。アンコール、アンコール、アンコール。『アリア』がもう一度、繰り返されたという。これも、「記録」にちゃんと書かれているんだそうですね。
ルチアーノ・パヴァロッティの出演料は、約9万フラン。これは歌手としての最高額。プラシド・ドミンゴが、約7万フラン。ホセ・カレーラスが、8万5千フラン。まあ、それくらいの値打ちはあるんでしょうね。
ところで、オペラ座の完成は、1875年のこと。日本でいえば、明治八年のこと。明治八年に出たのが、高畠藍泉著『怪化百物語』。この中に。

「香水をつけて横にかいたる散髪。真赤なフランネルのチヤツへ…………」。

これは、十八くらいの青年の姿。「チヤツ」は、シャツのことでしょう。ここでの「フランネル」は、比較的はやい例かと思われます。
それにしても、「真赤なフランネル」、着てみたいものですね。

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