森とモーニング

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

森で、明治の文豪といえば、鷗外でしょうね。森 鷗外。森 鷗外は、冷蔵庫の開け閉めに煩かったらしい。
明治の時代ですからもちろん、氷の冷蔵庫。氷の冷蔵庫を開けるのに、瞬間的であるのを良しとした。森 鷗外は軍医でもありましたから、衛生にとても厳しかったんですね。
そんなわけで、生物はほとんど口にしなかったという。水菓子なんかも一度火を通してから。「水菓子」は果物を指す明治語ですね。ですからもちろん茉莉は小さい頃、生のフルーツを食べたことがなかった。

「私は或る日母に実家で、生の水蜜桃をたべて、この世にこんなに美味しいものがあったのかと、愕いた。」

森茉莉は、『ぶっかき』という随筆の中に、そんな風に書いています。ほぼ同じ頃の横浜で。生のバナナを思う存分食べた少年がいます。
岩田豊雄。後の、獅子文六であります。明治期のバナナは、高級品で、 めったに口にははいらなかった。でも、ある日、岩田少年は一大決心をして、「今日こそたらふくバナナを」と、考えて。家の二階に上がって、バナナを。食べに食べた。食べた後の皮は、隣家の黒い瓦屋根に投げ捨てる。そのうち、瓦屋根が黄色くなったそうですね。
獅子文六こと岩田豊雄がフランスに遊学するのが、1922年のこと。この時、岩田豊雄は巴里でモーニングを仕立てています。
獅子文六は晩年の1969年に、文化勲章を。この折にも、1922年巴里製のモーニングを着て行ったんだそうですね。
世に、モーニング・コートほど男の姿を美しく見せてくれる服はありませんね。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone