バルザックと半ズボン

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バルザックは、フランスの作家ですよね。1835年に発表された『谷間の百合』は代表作でしょうか。ただし、バルザックには多くの名作があります。その他、濫作と言いたいほどの、おびただしい数の物語を書いています。あの、オノレ・ド・バルザック。
「小説の天才」と呼びたいサマセット・モオムは、バルザックのことを、「紛れもない天才」と、言っております。
さて、ここではバルザックが洒落者であったかどうかについて。オノレ・ド・バルザックが洒落者に強い関心があったのは、間違いないでしょう。バルザックはたいてい服を、「ビュイッソン」で仕立てていたのですから。
「ビュイッソン」は、ジョン・ビュイッソンが店主のテイラーだったので、「ビュイッソン」。巴里、リュー・ド・リシュリュー 108番地にあって、高級店。十九世紀の巴里では最高の仕立屋だったでしょう。もちろんお値段もそれなりに……………。
バルザックはたとえば、フオーマル用の黒のパンタロンを一本仕立てています。45フランなり。ブルーのフロック・コートが、120フラン。これはほんの一例で、白絹の部屋着さえ、「ビュイッソン」で、三枚も同じもので仕立てさせています。バルザックの支払は必ずしも迅速ではなかったらしい。が、ジョン・ビュイッソンはなぜかバルザックだけには寛大だったと伝えられています。
では、どうしてバルザックは「ビュイッソン」で服を仕立てたのか。バルザックは、ロトゥール=メズレーの姿に憧れを持っていたので。
ロトゥール=メズレーは、当時、『ラ・モード』などの発行人だった出版人。その一方で、洒落者。仇名が、「ロム・オ・カメリア」 ( 椿男 ) 。いつもボタン穴に新鮮な椿の花を飾っていたので。その時代の巴里では、椿がたいそう高価だったそうですね。
バルザックはこの依頼で、原稿を書いていて。月に三本の原稿を、送る。これに対して100フランの原稿料が支払われたという。もちろん、高額。
バルザックが1832年頃に書いた短篇に、『剣に誓いし友』があります。この中に。

「身形も優美な御曹司、美しきレースの類いや、小粋な半ズボンや、透かし入りの短靴などは…………」。

これは、シャトー=ラヴァリエールという美少年の着こなし。「半ズボン」の脇には、「オー=ド=ショース」のルビがふってあります。中世風の絹の半ズボンなのでしょう。
うーん。シルクの半ズボンも、いいかも知れませんね。

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