ブロンドとフロック

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ブロンドは、金髪のことですよね。殿方はどういうものか、金髪に心惹かれることになっているんだそうです。
そういえば、『紳士は金髪がお好き』という題の小説もあったらしい。1925年に、アニタ・ルースが発表した物語。1953年には『紳士は金髪がお好き』として、映画化もされています。この中には、ジーン・ラッセルと一緒に、マリリン・モンローも出演しています。
原作者の、アニタ・ルースは1927年に、続編を。その題名が、『されど紳士はブルネットと結婚する』。まあ、どちらにしても男は、女の髪に弱いということなんでしょうか。
マリリン・モンローの本名が、ノーマ・ジーン・モーテンソンだったのは、よく知られているところでしょう。では、ノーマ・ジーン・モーテンソンはいかにして、マリリン・モンローになったのか。一枚の写真によって。
その一枚の写真が掲載されたのは、1944年『スターズ・アンド・ストライプス』12月号。『スターズ・アンド・ストライプス』は主にアメリカの軍人が読むための雑誌。異国の地で戦うアメリカ兵士を慰める読物でもあったのです。
その中のひとつに、「銃後で働く娘」という企画があって。そのための写真を求められたのが、オットー・エイゼという若い写真家だったのです。オットー・エイゼはその写真を撮るために、カリフォルニア州、バーバンクにある「ラジオ・プレイン飛行機工場」へ。そこでたまたま目に止まったのが、ノーマ・ジーンだったのです。
ノーマ・ジーンは、ブルー・デニムのオーヴァーオールズ姿で、カメラの前に。
この一枚の写真で、ノーマ・ジーンはモデルとしてスカウト。結局、マリリン・モンローの芸名が与えられるのです。
ところで、写真家、オットー・エイゼに一枚の写真を撮るように命令したのは、誰か。当時『スターズ・アンド・ストライプス』で働いていた、ロナルド・レーガンなのであります。まあ、言い方を変えますと。マリリン・モンロー売出しに力を貸したのは、ロナルド・レーガンだった。そうも言えるでしょう。
ブロンドが出てくる小説に、『自然を逸する者たち』があります。1897年に、ラシルドが発表した物語。

「若い男は服に袖を通し、頭を振って明るいブロンドの髪を揺らした。」

まあ、ブロンドはなにも女とは限らないわけです。男にもプラチナ・ブロンドはあるのでしょう。『自然を逸する者たち』には、こんな描写もあります。

「この男は聖職者の短い上着のような、スリムなフロック・コートを着ていた。」

着丈の短い、スリムなフロックなら、着てみたいものです。両前のブレイザー くらいに思えばいいのですから。
ブレイザー感覚のフロックを着て、ブロンド美人を探しに行きたいものですが………………………。

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