おろしやとオイルド・コート

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おろしやは、今のロシアのことですね。江戸期の日本人は、「おろしや」ということもあったらしい。
1783年に、おろしやに渡った人が、大黒屋光太夫。大黒屋光太夫はなにも好きで行ったのではなくて、船が難破した結果なんですね。
大黒屋光太夫は、伊勢、白子の廻船問屋。伊勢から江戸に、米を運ぼうと。「神昌丸」で。一月十五日のこと。ところが駿河湾で、台風に。難破。七カ月漂流して、着いたところが、アリューシャン列島の、アムチトカ島。
でも、光太夫はなんとしても、日本に帰りたい。そこで、当時の、エカテリーナ二世に、直訴することに。謁見を待っている間、オシープ・イヴァーノヴィッチ・ブーシの屋敷の世話に。オシープ・ブーシは、宮廷の庭園長。オシープの妹に、ソフィア・ブーシがいて、光太夫の運命に同情。で、作ってくれたのが、『ああ、わびしきものよ、異国そらで』なんですね。
1792年、光太夫は奇跡的に帰国。ただし、ひとつ条件があって。おろしやのすべてを、桂川甫周に語ることだったのです。おろしやの体験のひとつとして、光太夫は桂川甫周に、『ああ、わびしきものよ、異国のそらで』を歌った。これが、日本での最初の、ロシア歌謡になったという。
ロシアが出てくるミステリに、『殺人者の顔をした男』があります。2002年に、マッティ・ロンカが発表した物語。

「あんた、あっちの国で軍隊に行ったのか? ロシア人じゃないから苦労したか? 」

また、『殺人者の顔をした男』には、こんな描写も出てきます。

「緑色のオイルドコートは、海の風にさらされたことなど一度もなさそうに見える。」

これは、アールネ・ラーションと名乗る男の着こなし。
おろしやの冬を旅するなら、オイルド・コートはたぶん必要でしょうね。

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