ドストエフスキーとトレンチ・コート

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ドストエフスキーは、ロシアの文豪ですよね。代表作は、『カラマーゾフの兄弟』でしょうか。1880年に発表された名作。
ドストエフスキーは、どのようにして原稿を書いたのか。主に口述筆記だったらしい。つまり、ドストエフスキーが文章を語り、それを速記者が記録。それをもとに印刷にかけられたのでしょう。
ドストエフスキーの速記を担当したひとりに、アンナがいます。アンナ・グリゴーリエヴナ。アンナがはじめてドストエフスキーに会ったのは、1866年10月4日のことと記録されています。午前11時30分に。
ドストエフスキーは時間に正確なお方で。約束の時間に、「早くもなく遅くもなく」あらわれてくれるのが好きだった。「早くもなく遅くもなく」は、ドストエフスキーの口癖だったという。
アンナがはじめて会った時のドストエフスキーは、どんなふうだったのか。

「かなり着古した青いラシャの上着を着ていたが、シャツ ( 襟と袖口 ) は雪のように白かった。」

アンナ・ドストエフスカヤ著『回想のドストエフスキー』には、そのように出ています。上着はともかく、1866年頃、ドストエフスキーは上質のシャツを着ていたことが想像できるでしょう。
途中経過を省きますと。後にドストエフスキーは、アンナと結婚。ドストエフスキーはアンナにどのように告白したのか。

「いいですか、この画家がわたしで、わたしがあなたに恋を打ちあけ、妻になってほしいとたのんでいるとします。聞かせてください、なんと答えますか」

ドストエフスキーは賢明にも、「間接話法」を使ったんですね。これに対してアンナは。

「わたしだったらこう答えますわ。あなたが好きで、一生ずっと愛しつづけますわ、と」

1866年11月8日のことだったという。
ドストエフスキーが出てくる評論に、『反抗的人間』があります。1951年に、アルベエル・カミュが発表した論文。この中に。

「たとえばドストエフスキーがイワン・カラマーゾフによって具象化している、反抗的行動から形而上的反逆に進展する論理である。」

カミュが少なくとも『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたことは、間違いないでしょう。
カミュが愛用したものに、トレンチ・コートがあります。カミュはトレンチ・コートを無造作に羽織り、くしゃくしゃに前ボタンを留め、袖口のストラップもしっかり閉じています。そうなんです、トレンチ・コートはカミュのように着こなすものなのです。もともと過酷な戦場で必要だったものですからね。

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