プラチナとブート二エール

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プラチナは、白金のことですよね。金よりも銀よりも硬い金属。しかも、たいへんに強い材質。薬品などにも侵されにくい。プラチナ製のアクセサリーなども珍しくはありません。
また、色の名前にも。「プラチナ色」だとか、「プラチナ・ブロンド」だとか。プラチナ・ブロンドが出てくる小説に、『助左衛門四代記』があります。有吉佐和子が、昭和三十八年に発表した歴史小説。

「若い頃から髪の手入れを怠らなかったので、豊かな白髪が、まるでプラチナブロンドのように美しく、容貌も彫りの深い顔立ちだったので……………………。」

垣内助左衛門の姿。垣内助左衛門は、紀州の富豪、名家。垣内助左衛門は、年に何度か東京へ。その主な用事は、銀座の「壱番館」で洋服を仕立てることだったという。
有吉佐和子は、昭和六年のお生まれ。戦後まもなくに、「東京女子大学」の生徒になっています。有吉佐和子が、ある日学校に赤い靴を履いてきて、同級生を驚かせたことがあるんだとか。
戦後間もなくの日本に、赤い靴などまで売ってはいなかったので。しかし「ララ物資」というのはあった。「ララ物資」はアメリカからの救援物資。この中に古着とカーキ色の粗末な靴があったらしい。
若き日の有吉佐和子は、このカーキ色の靴を真紅に変身させた。PXに行って、赤いマニキュアを二壜買って。カーキ色の靴に、そのマニキュアを施したんだとか。

「大学部に残った私が、やっと卒論を仕上げた頃、真紅のエナメル・ハイヒールで颯爽と有吉さんが寮に来て、「吾妻徳穂って知ってる? 天才舞踏家よ………………………」。

『有吉佐和子の世界』の中に。当時、同級生だった、大藪郁子はそのように書いています。
ここでの「真紅のエナメル・ハイヒール」は、もちろん「ララ物資」とは別の物。有吉佐和子は、その頃、赤いハイヒールがお好きだったのでしょうね。
ところで。プラチナの出てくる小説に、『三枚つづきの絵』があります。1973年に、クロード・シモンが発表した物語。

「さらに円筒形のもあって、これにはプラチナの腕輪や超小型の腕時計や金の鎖が懸かっている。」

また、『三枚つづきの絵』にはこんな描写も。

「タキシードの青年のボタンホールには白いカーネーションが差してある。」

まあ、これはよくある場面でしょうね。もちろん、「ブート二エール」。
ブート二エール b o ut onn ière は、もともとフランス後。『ボタン穴」の意味。それをイギリス人が勝手に「飾り花」の意味に。では、フランスでは「飾り花」をなんと呼ぶのか。
「フリュリエール・サ・ブート二エール」。つまり、「襟穴の飾り花」と表現するわけですね。
たぶんフランス人は心の中で。「手短かな言い方をとられちゃった」と、思っているのではないでしょうか。

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