サラは、女の子の名前ですね。でも、サラで、大女優でといえば、サラ・ベルナールでしょうか。
サラ・ベルナールは、1844年10月23日に、巴里で生まれたとか。でも、ほんとうのところはよく分かってはいないようですが。このあたりからして、後に「神秘の大女優」となる素地があったのかも知れませんが。ただ、サラのお母さんのジュリーが一時、帽子づくりをしていたのは、間違いないようです。
サラ・ベルナールはそれはそれはお美しいお方で。加えて、美声の持ち主でも。天が二物をお与えになった例外なのでしょう。
ある時。サラがジョージに言った。
「あなたの頭脳とあたくしの美貌とがひとつになったら、素晴らしいとは思いませんか?」
これに答えて、ジョージが言った。
「まあ、やめておきましょう。あなたの頭脳と私の容貌とがひとつになったら、たいへんですから。」
もちろん、ジョージ・バーナード・ショオであります。それはともかく、サラ・ベルナールが、国宝級の美人だったことは間違いないようですね。
エドモン・ロスタンは、こう言ったそうです。
「美を持たぬこの時代にサラだけがわれわれにのこされた美だ。」
ジュール・ルナールは。
「サラ・ベルナールがちょっと合図をしてくれたなら、私は彼女について世界の果てまでゆくだろう ーー 女房といっしょに。」
サラが、絶対的人気を得たのは、『リュイ・ブラス』で、王妃、ドナ・マリア・ド・ヌブールを演じた時であったという。『リュイ・ブラス』は、ヴィクトル・ユゴーの作。
この『リュイ・ブラス』の台本読みの最中。サラはくたびれて。ユゴーの愛用の机に腰かけて、両の脚を揺らしていた。ユゴーはそれを注意。
「尊敬すべき、清廉なるスペインの王妃よ、机の上にそのように腰掛けなさるな。」
これはフランス語だと、「レスペクターブル」と、「ターブル」とで、韻を踏んでいる。
このひと言から、サラはユゴーを尊敬するようになったと伝えられています。
サラが出てくる短篇に、『家庭のやすらぎ』があります。アメリカの作家、フラナリー・オコナーの短篇。
「サラと手をきる方法がいくつか頭に浮かんだが……………………」。
これはトマスのひとり言。
また、同じくオコナーの短篇に、『精霊のやどる宮』があります。この中に。
「薄緑に細い黒の縞のシャツに青のズボン吊り………………」。
これは、チートという男の着こなし。たぶん、サスペンダーなんでしょう。
イギリスでいうところの、「ブレイシーズ 」。単に呼び名が違うだけでなく、その背景の文化にも違いがありそうです。
アメリカではズボンを吊るための道具。イギリスではズボンを吊るための下着。
アメリカでサスペンダーを人前に出しても別段ないですが。イギリスでブレイシーズ を露出するのは、恥ずかしいことなのです。
なにか、しかるべきサスペンダーで。私なりのサラを探しに行きましょうか。