詩人とジレ

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詩人は、詩を詠むことを職業としている人のことですよね。たとえば、ロード・バイロンは英國の詩人であります。

「私は、ナポレオンよりもブランメルとして生きたい」

そんな科白を遺しています。要するに詩人バイロンは洒落者でもあったのです。
ロード・バイロンよりも先輩にあたる英國の詩人に、スコットがいます。サー・ウォルター・スコット。『ザ・レイディ・オブ・ザ・レイク』。『湖上の麗人』はあまりにも有名でしょう。
スコットは、1771年にスコットランドのエディンバラに生まれています。このウォルター・スコットは、タータンと浅からぬ縁で結ばれています。
1822年。時の英國王、ジョージ四世が初めて公式にスコットランドを訪問する時。頭の天辺から足の爪先まで、スコットランド衣裳に身を包んだものです。これは実は、スコットの提案によるものだったのです。この1822年の、ジョージ四世のハイランド衣裳から英國にタータンが普及した、といっても過言ではありません。
それよりも前。1817年8月30日に、スコットを訪問したアメリカ人が、ワシントン・アーヴィング。あの、「ニッカーボッカーズ」の生みの親となった作家であります。

「それはトゥイード川へ下る丘の中腹の道からわずかに入ったところにあり………………………」。

アーヴィングは、スコット邸の環境を、ざっとこんなふうに描いています。トゥイード川は、今日の「トゥイード」の源となった川名であります。
スコットが出てくるフランスの小説に、『感情教育』があります。フロベールの傑作。

「彼はいつの日かフランスのウォルター・スコットたらんと野望を抱いていた。」

また、『感情教育』には、こんな描写もあります。

「フレデリックは色変りの袖のついたチョッキ姿の男を見つけて、大きな声をかけた。」

『感情教育』は、1869年の刊行。当時は、袖のあるチョッキも珍しくはなかったのでしょう。たぶん、身頃と袖が色違いになっていたものと思われます。
なにか自分好みのジレで、スコットの詩集を探しに行きましょうか。

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