レディとレザー・ブルゾン

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レディは、貴婦人のことですよね。l ady と書いて、レディ。少し煩いことを申しますと、「レイディ」かも知れませんが。
日本語の「レディ」は、明治の頃から用いられていたらしい。たとえば、夏目漱石の文章にも何度となくレディが出てきます。

「レデーは私が払つて置きますといつて黒い皮の蟇口から一ペネー出して切符うりに渡した。」

夏目漱石著『倫敦消息』には、そのように出ています。漱石は、「レデー」と書いています。
これは漱石が「レデー」と二人、鉄道馬車に乗る場面。料金「二銭」と、書いています。『倫敦消息』は、一種の紀行文というべきでしょうか。少なくとも小説ではありません。が、今となっては1900年ごろの倫敦の風俗を知る上で、貴重な資料でもあります。
そもそものことを申しますと。『倫敦消息』は、手紙。倫敦留学中の漱石が、親友の正岡子規に宛てた私信。
正岡子規は漱石の倫敦からの手紙が面白いと思って。句誌『ホトトギス』に掲載。
子規は漱石に、「もっと手紙を書いてくれ」。で、漱石は、二信を。と、子規は「もっと」。で、三信を。ふたたび子規は「もっと」。しかし子規は、漱石の第四信が届く前に、命が尽きた。
漱石は子規に対して、「誠に、申しわけない」。というので新たに書いたのが、『吾輩は猫である』。その意味では『吾輩は猫である』は、子規への手紙の続きでもあるのですね。

「上の引出に股引とカラとカフが這入つて居て下には燕尾服が這入つて居る。」

もちろん、『倫敦消息』の一行。漱石の下宿の様子。「カラとカフ」。1900年頃のシャツは、カラーもカフも着脱式になっていたことが、窺えるでしょう。
たしか、レディの話をしていたような気がするのですが。題名にレディがつくミステリに、『レディ・キラー』があります。1958年に、エド・マクベインが発表した物語。この中に。

「クリングは背が高く、まだ若い金髪の刑事だ。革のジャンパーをきて、ブルージンの作業ズボンをはいている。」

バート・クリングは、「87分署」の刑事という設定になっています。訳者、田中小実昌は、「ブルージンの作業ズボン」と訳しています。ほんのすこし、時代を感じるのは、私だけではないでしょう。
レザー・ブルゾンで、現代のレディを探しに行きたいものですが。

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