ブランクーシとフィッシャーマン

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ブランクーシは、偉大なる彫刻家ですよね。具象を超えて簡素美の極みに迫った藝術家とでもいえば良いのでしょうか。
一時期、ブランクーシに師事したのが、イサム・ノグチ。イサム・ノグチは、1904年11月17日。ロサンゼルスに生まれています。お父さんは、詩人の野口米次郎。お母さんはアメリカ人の、レオニー・ギルモア。

私は自然を自然の眼を通して見たい…………………。」

イサム・ノグチは、1927年。「ジョン・サイモン・グッゲンハイム奨学金」を得るための論文に、そのように書いています。イサム・ノグチ、二十三歳の時。その結果、イサムは奨学金を受けることになり、巴里へ。巴里で、会うのが、ブランクーシ。イサムはブランクーシの彫刻に魅せられていたので。
ブランクーシは、イサムに言った。

「集中するんだ。窓の外を見るのはやめなさい!」

「集中」。たぶんイサム・ノグチは、絶え間ざる「集中」をこの時に学んだのでしょう。
イサム・ノグチは自作を完成させるために、研磨に研磨を重ねた。それも機械ではなく、手作業で磨いた。手作業のほうが温もりのある表面になるから、と。
イサム・ノグチでもっとも身近な「藝術」は、「あかり」。あの竹ひごと和紙との照明器具。
1951年。イサムが一時、日本に帰った時、当時の岐阜市長から依頼されてデザインしたもの。

「あかり」は日本語で「光」を意味する。その表意文字は太陽と月の組み合わせだ。

イサム・ノグチ著『エッセイ』には、そのように書いています。この発想は、日本人にはあまりに近すぎて、盲点に。純アメリカ人でもなく、純日本人でもないイサム・ノグチだからこその、「自然な視点」でしょう。明。なるほど、太陽と月。
イサム・ノグチ著『エッセイ』には、1934年に写されたブランクーシの写真が収められています。これは、ブランクーシ自身による撮影。一種の「自画像」でしょうか。
そこでのブランクーシは、白いコットン・パンツに、紺とおぼしきスェーターを着ています。モノクローム写真なので、紺はあくまでも推測ではありますが。
写真を観る限り、ブランクーシのそれは、フィッシャーマンズ・スェーターのように思われます。
今、私たちがふつうに着ているスェーターの源は、フィッシャーマンズ・ジャージーでしょう。寒い冬の海で、小舟で魚を漁る男たちの労働着。
多少の飛沫は怖くない。未脱脂羊毛だから。羊天然の脂を残したままの毛糸。しかも太い糸を緻密に、編む。重く、頑丈な編物。街でもコオトが要らないくらいの保温性を持っていたでしょう。
まあ、理想はともかく。好みのフィッシャーマンズ・スェーターで、ブランクーシの作品集を探しに行くとしましょうか。

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