天使とティケット・ポケット

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

天使は、エンジェルのことですよね。「天」の「使い」と書いて、「天使」。天は神のことでしょうから、神の心を人に伝えるためには「天使」が必要なのでしょう。
天使が出てくる小説に、『平凡』があります。明治四十年に、二葉亭四迷が発表した物語。この中に。

「パタリと話すが休むだ。雪江さんも黙つて了ふ、松も黙つて了ふ。何處でか遠方で犬の啼聲が聞える。所謂天使が通つたのだ。」

会話が途切れる。たまにありますね。喫茶店かなにかで、お茶を飲みながら、久びさに会って、話がはずむ。でも、ある一瞬、話が消える。誰にだって経験あることでしょう。
フランス人にもあるみたいで。「アン・アンジェ・パッセ」。「おや、天使が通ったよ」。さすが、フランス人はうまいことを言いますね。
たしかに。私たちが話をしている横を天使が通ったなら、話が何秒間か止まるでしょうから。
天使が出てくる小説に、『不条理の天使』があります。エドガー・アラン・ポオが、1844年に発表した創作。題に「天使」とあるのですから、天使が登場するのも当然でしょうが。

「いよいよいさぎよく手をはなして成仏しようとしたとき、天使がぼくに声をかけて手を離すなという。」

また、天使はこんなことも。

「ては不条理の天使に対する完全な服従のしるしとして、右手を左袖のポケットに入れろ」

なにしろ「不条理の天使」ですから、言葉遣いも少し奇妙。永川怜二の訳では、「ては」になっています。
それはともかく。1844年頃のアメリカには、上着の左袖にポケットが付いていたのでしょうか。
上着の左袖のポケット。私の勝手な想像では、ティケット・ポケットではないでしょうか。鉄道の切符を入れておくためのポケット。
どうして左袖なのか。右手で切符を出し入れしやすいように。もし今、上着の左袖に、ティケット・ポケットを付けたなら、天使が側を歩いてくれるでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone