ターンオーヴァーとダブル・ブレステッド

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ターンオーヴァーは、玉子の焼き方のことですよね。もちろん、目玉焼の場合において。
ふつう、サニーサイドアップということが、多いものです。片面焼。ここからさらに、もう一面をも焼くと、ターンオーヴァー。まあ、ひっくり返すわけですから、ターンオーヴァーなんでしょう。
ターンオーヴァーなのか、サニーサイドアップなのか。これはもう、好みの問題でしょう。第一、玉子の食べ方は目玉焼以外にもたくさんあります。
たとえば、スクランブルド・エッグズだとか。日本の炒り玉子に似てなくもありません。スプーンを使えば、いとも容易く食べることができるでしょう。
サニーサイドアップの玉子をいつ潰すかで、悩むこともありませんし。

「父は、オートミールやスープを啜つて、次に卵の目玉焼や、トーストパンなどを食べた。」

澁澤秀雄著『通学物語』には、そのように出ています。澁澤秀雄の「父」はいうまでもなく、澁澤榮一。息子から眺めての父親の朝食風景。澁澤榮一の朝ごはんは、洋風だったのでしょう。
目玉焼、スクランブルド・エッグズ、そしてオムレツがあります。朝食に、オムレツを好んだお方に、ウィロビーがいます。チャールズ・アンドリュウ・ウィロビー。
毎朝のウィロビーのオムレツを作ったのが、村上信夫。GHQ の幹部だったウィロビーは、帝国ホテルに住んでいたので。

「ウィロビー少将お気に入りのクロワッサン、パンケーキやゴーフルをお出ししたこともあります。そして、卵をたっぷり使って中をふんわり仕上げたオムレツ。」

村上信夫は、1997年『インペリアル』誌 11月号に、「少将殿が遺された朝の洒落た「おもてなし」」と題して、そのように書いています。
戦後間もなく、極秘にウィロビー少将を訪ねたのが、吉田 茂。吉田 茂とウィロビー少将は、朝食をともにしながら、何かを語ったらしい。それもほとんど毎日のように、吉田 茂はウィロビーと朝食を。ということは、吉田 茂もまた、オムレツだったのでしょうか。
ウィロビーの写真が遺っています。それを見る限りダブル前で、なかなか粋な着こなしになっているのです。
チャールズ・アンドリュウ・ウィロビーは、1892年3月8日。ドイツのハイデルベルクに生まれています。少なくとも生粋のアメリカ人ではありませんでした。ハイデルベルク大学でも学んでいるようです。
アメリカを基本として、ヨオロッパの味が加えられると、よりスマートなダブル・ブレステッドになるのかも知れませんね。
自分好みのダブル前スーツで、目玉焼を食べに行こうではありませんか。

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