シャンパンとシャ

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シャンパンは、発泡性白ワインですよね。勝手知ったるお方は、「泡もの」なんてことを、おっしゃるようですが。
あるいはまた、シャンパンしかお飲みにならない人も。口が渇けば、シャンパン。食事をするにも、まづシャンパンにはじまって、最後にシャンパンにて締めくくる。
とにかく目覚めの一杯がシャンパンというのですから、羨ましい限りであります。
ところで。日本人ではじめてシャンパンを飲んだ人物は、誰なのか。さあ。

「傍ニ一家アリ、暫ク休息ス、シヤハン等ヲ出ス。戸外庭園アリ。」

万延元年の『航米日録』には、そのように出ています。著者は、玉虫左太夫。五月三日のところに、そのように出ています。場所は、「フツクレエン」。玉虫左太夫は、ブルックリンのことを、そのように書いているのですが。
玉虫左太夫は、文政六年に、仙台に生まれています。武士の子として。それが後にいろんな事情から、万延元年のアメリカ行きの一行に加えられることになったのです。

「………ホーハタンへ乗リ渡ラレケル。」

玉虫左太夫はポーハタン号のことを、「ホーハタン」と記しています。江戸末期のことですから、今よりも文字遣いが自由だったのでしょう。というよりも、訓み手の想像に任せる部分が多かったものと思われます。
『航米日録』での、「シヤハン」は、玉虫左太夫のつもりでは、「シャパン」だったのかも知れません。はじめて聴いた異国語が、「シャパン」に聴こえた可能性はあるでしょう。
想像逞しくすれば、玉虫左太夫はおそらく休憩し、シャンパンを飲んだのでしょう。
もし、そうだとするなら、「玉虫左太夫」も、候補のおひとりでありましょう。日本人ではじめてシャンパンを飲んだ人物の。
シャンパンが出てくる小説に、『カラマーゾフの兄弟』があります。ロシアの文豪、
ドストエフスキーが、1880年に完成させた長篇。

「………シャンパンをいれて三百ルーブリといったところだ………。」

極上の食事、何から何まで入れて、「三百ルーブリ」。1870年代のロシアでの食事の様子がほの見えてくるようですが。
また、『カラマーゾフの兄弟』には、こんな描写も。

「ガウンの襟の下から、さっぱりとしたシックなシャツ、金のかざりボタンのついたオランダ製の薄手のシャツがのぞいて見える。
これは、フョードル・パーヴロヴィッチの室内での着こなし。
おそらく「オランダ麻」のシャツなのでしょう。「金のかざりボタン」は、スタッド。
室内での、ごくふつうのシャツも、ドレス・スタッドを用いたことが分かるでしょう。第一、1870年代のシャツは、頭からかぶって着る式で、その前ボタンは特に正装でなくとも、飾りボタンを使ったものです。
どなたかプル・オーヴァー式の、古典的なシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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