アランとアストラカン

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

アランは、人の名前ですよね。
ふつうは、A l l an と書いて、男子の名前であることが多いようです。
同じアランでも、Al a in と書くこともあって。たとえば、アラン・ドロンはこちらも方みたいですね。
アランで、アメリカの偉大な作家ということになりますと、エドガー・アラン・ポオでしょうか。
エドガー・アラン・ポオは、1809年1月19日。ボストンに生まれています。ポオの小説と、日本の関係はわりあいと古くて。明治二十年には最初の翻訳がなされています。
饗庭篁村の訳にによる『黒猫』がそれであります。
ポオの小説の特徴のひとつは、老若男女によって愛読されていることでしょうか。

「私が、一番先に読んだポオの作品は、「アモンティリャアドの酒樽」であつた。どうしてそれを一番先に読んだのかは覚えてゐないが、地下道で鳴るあの鈴の音はよく覚えてゐる。」

小林秀雄は、岩波版『ポオ全集』の解説に、そのように書いています。また、小林秀雄はポオを再読もしているのですね。
ポオの小説は日本の小林秀雄によって認められ、フランスではボオドレエルがポオの詩に多いなる影響を受けています。このことだけをもってしても、ポオがいかに偉大な作家であったかが、窺われるでしょう。
ポオの母方の曽祖父にに、サミュエル・アーノルドという人物がいたらしい。サミュエル・
アーノルドは、英國の建築家で。たとえば、倫敦の「ライシアム劇場」を完成させています。1794年に。
この「ライシアム劇場」が出てくるミステリに、『四つの署名』があります。
1890年に、コナン・ドイルが発表した物語。

「………今夜七時、ライシアム劇場そとの左から三本目の柱のところまでお越しください。ご心配でしたら、お友だちを二人お連れなさい。……………。」

これは、秘密の手紙の文面として、紹介されるのですが。
1890年の『四つの署名』には、こんな描写も出ています。

「カーテンの後から、襟と袖口にアストラカン皮がついて、胸に飾り紐のある、ばかに長目のオーバーをとり出した。」

これは、「ショルトー」という人物の外套。
アストラカン astr akh an は、カラクール・ラムの腹子の毛皮。
どうもコナン・ドイルはアストラカンに興味があったようで、何度か物語の中に、
「アストラカン」を登場させています。
今も昔もアストラカンは稀少、高価で、富豪にふさわしい毛皮なのです。

「私の黒い絹の外套には、アストラカンの裏が張られてある。」

1766年に発表された『セルウインとコンテンプ』の中に、このような記述があるという。
少なくとも1760年代の英國では、アストラカンが知られていたものと思われます。
どなたかアストラカン裏の絹の外套を仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone