インは、旅籠屋のことですよね。inn と書いて「イン」と訓みます。
英國の古い小説などを読んでいますと、たいてい「イン」の話が出てきたりするものです。
「イン」は中世からすでにあったようですね。今も昔も人に旅は欠かせないもので。旅にはなんらかの宿が必要ですから、当然のことでもあったでしょう。
今日のホテルに似ています。事実、今でも「○○ イン」を名乗ることがあります。あれはイギリスの伝統を踏まえてのことでもあるのです。
ひとつの例を挙げますと、「タバード・イン」 Th e T ab ad Inn 。
1307年に、ハリー・ベイリーが開いた旅籠屋。店の看板にタバードが描かれていたので、「タバード・イン」。
これは「タバード・イン」に限らず、だいたい看板の絵を旅籠屋の名前にするのが習慣になっていたようですね。
タバード t ab ard は、「陣羽織」のこと。鎧の上からでも羽織れる、ゆったりとしたケープ状の上着だったのであります。
それにしても、今からざっと700百年前の「タバード・イン」がどうして、今に有名であるのか。それはひとえにチョーサーのおかげでありましょう。ジェフリー・チョーサーの古典、『カンタベリー物語』の。
チョーサー作『カンタベリー物語』は、1387年頃からはじめられて、ついに未完に終った長篇であります。
「……………わたしはとても敬虔な気持からカンタベリーへ念願の巡礼に出かけようと、サザークのザ・タバードに泊まっておりました。」
当時の英國人にとっての「カンタベリー大寺院」は、日本に置き換えますと、「お伊勢さん」にも似ていたのです。
サザークは、倫敦から出て場合のはじめての宿場。そこにいろんな人が集まって、いろんな話をする、という設定が『カンタベリー物語』なのですね。
英國の「イン」の名前を題にミステリを書いているのが、マーサー・グライムズ。
マーサー・グライムズは、1981年に、『「禍いの荷を負う男」亭の殺人』を書いて、拍手喝采。次に書いたのが、『「化かされた古狐」亭の憂鬱』。
そして1985年には『「悶える者を救え」亭の復讐』を発表しています。この中に。
「……………首にゆるく結んでいる紫色のクレープのスカーフがカシミヤのインバネスのケープと一緒に風にゆれている様子はどう見てもそんな感じである。」
「そんな感じ」とは、船での旅人を指しているのですが。これは、マーシャル・トルーブラッドという人物の着こなし。たしかに今も昔もインヴァネスは、旅人にふさわしい外套でしょう。
どなたかカシミアのインヴァネスを仕立てて頂けませんでしょうか。