心とコル・ロオレ

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心は、ハートのことですよね。心はまた精神のことでもあります。
でも、面と向って「心とは何か?」と問われたなら、正しく答えられるものではありません。
しかし誰もが心を持っていることも、間違いありません。人には体があるように、心があります。
体は目に見える。心は目に見えない。これが心と体との違いなのでしょうか。
たとえば、笑う。大笑い。呵呵大笑。これは顔の動きでもあります。けれどもほんとうは先に、心が笑うから、それにつれて顔が笑うのであります。
つまり、心の状態が顔の状態を作っているのです。
そして心の状態を作っているのは結局のところ、自分自身。うれしいなあと思うから心が笑うのです。
ヒト、ココロ、カラダ。その順番なのでしょう。
どちらにしても、カラダを作っているのはココロで、ココロを作っているのは、ジブンということに変わりはないのでしょうね。
心と題につく小説に、『心の青あざ』があります。1972年に、サガンが発表した物語。
翻訳は、朝吹登水子。日本語の題名『心の青あざ』をつけたのは、朝吹登水子。

「とても美味しいレストランだった。エレオノールは、レモンの汁をかけると躍りあがる生きのよい牡蠣と、黄金色焼いた舌平目をとった。」

エレオノールは、妹。セバスチャンは、兄。兄と妹はパリでふたりで暮していて、とても仲の良い兄妹という設定になっています。
『心の青あざ』はたしかに小説なのですが。その中に、サガン自身の心が織り込まれている構成になっています。

「彼女は十八歳の時、きれいなフランス語作文を書き、それが出版され、彼女を有名にした。彼女はこのことを悲劇的にとり、真剣にとることを拒否した。」

「彼女」が、サガン自身であるのはいうまでないでしょう。サガンの本心を垣間見ることのできる小説でもあります。
そうかと思えば。

「あれが一番保ちがいいからよ」とエレオノールは相変らず彼の方を見ないで言った。

「彼」とは、セバスチャンを指しています。「あれ」は、ルイ・ヴィトンの旅行鞄のこと。
たしかにルイ・ヴィトンの旅行鞄は、頑丈です。それは鋲のせいなのか、芯材のポプラのせいなのか。やはり鋲を打つときの職人の心のせいでしょう。
『心の青あざ』には、こんな描写も出てきます。

「あのとっくりセーターが気になっていたが……………あのセーターはどこに行ってしまったのだろう?」

1960年代。当時、大蔵大臣だった、ジスカール・デスタンがタートルネックのスェーターでTVに出て、話題になったことにふれて。
ほぼ同じ頃。アメリカのロバート・ケネディも、タートルネックのドレス・シャツを着て人気になったものですが。
アメリカはアメリカ、フランスはフランス。
フランスではとっくり首のことを、「コル・ロオレ」c ol r o ulé と呼ぶんそうですね。
どなたか明るい心にしてくれるコル・ロオレのスェーターを作って頂けませんでしょうか。

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