カルカッタと貝紫

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カルカッタは、インドの地名ですよね。
C alc utt a と書いて、「カルカッタ」と訓みます。ただし、これは英語式の表現なんだそうです。インド国内での表記は、「コルカタ」K o Ik at aに近いらしい。
カルカッタは昔の積出港でもあって。ここから生まれた言葉に、「キャラコ」があります。
時に、「キャリコ」とも。いずれも港のカルカッタが訛って、日本語になったものです。
キャラコの足袋もありましたし、キャラコのシャツもありました。上等の、平織の、綿布のことだったのです。

「………ヅボンは薄羅紗の千筋、小紋置たるキヤリコの鉢巻せる麦殻帽子を弓手に持ち、右にヴアイオレツトの香ふ絹ハンケチを抓で唇を拭ひ……………………。」

明治二十二年に、尾崎紅葉が発表した『風流 京人形』に、そのような一節があります。
これは、「菱郎」の着こなし。尾崎紅葉は、ここでは「麦殻帽子」と書いているのですが。
また、「千筋」は、細く、細かいストライプのこと。千筋よりももっと細かい縞のことを、
「万筋」と呼んだものです。
また、「鉢巻」は、「ハット・バンド」のことでしょう。夏のことですから、白い、キャラコのハット・バンドで、おそらくジャカードになっているのでしょう。
少なくとも明治二十年代には「キャラコ」の言葉が用いられていたものと、思われます。
ただし紅葉の表記は、「キヤリコ」になっているのですが。

「それから其下の抽匣から取出したのは、中形メリンスの腰卷、白キャラコの足袋。」

小杉天外が、明治三十三年に発表した『初すがた』にも、「キャラコ」が出てきます。
これは、母の「お梅」が、抽斗を開けている場面。明治三十年代の「白いキャラコの足袋」は、ごく一般的なものであったものと思われます。

「剛子がキャラコの下着をきているのを従姉妹たちに発見され、それ以来、剛子はキャラ子さんと呼ばれるようになった。」

久生十蘭が、昭和十四年に書いた『キャラコさん』の、一節なのですが。
久生十蘭は、「下着」と書いて、「シユミーズ」のルビを振っています。これは、どういうことなのか。
「剛子」のキャラコのシュミーズがどうして仇名の由来になるのか。ひと言で申しますと、質素である、倹約であるということなのです。絹のシュミーズではないので。
まあ、それはともかく。昭和十年代には、「キャラコ」はかなり身近な生地であったが窺えるに違いありません。
久生十蘭の『キャラコさん』は、昭和十四年『新青年』八月号に掲載されて。その年の「新青年賞」を受けてもいます。
カルカッタが出てくる小説に、『貝紫幻想』があります。昭和五十七年に、芝木好子が書いた物語。

「インドのカルカッタの父から、連絡があったかと聞くと、電話があったという。」

これは主人公の「圭子」は母の、「雪子」に問う場面。場所は、自宅の鎌倉に置かれたいるのですが。
芝木好子の『貝紫幻想』は、題がすでに語っているように、圭子が「貝紫」を訪ねる内容になっています。
貝紫はよく識られているように、紫色の天然染料。貝紫の正体は、「アクキガイ」の分泌液。アクキガイの分泌液を用いると、得もいわれぬ美しい紫色が得られる。このことは、
紀元前十世紀のフェニキア人がすでに識っていたらしい。
ただし、アクキガイ10、000個集めて、1、5グラムの染料にしかならなくて。ために皇帝の衣裳だけに使われたとか。「皇帝紫」の名称はここから来ているわけですね。
「インペリアル・パープル」と。
どなたか皇帝紫のスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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