ゼフュロスとゼファー

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ゼフュロスは、古代ギリシアの風の神ですよね。
Z ephyr us と書いて、「ゼフュロス」と訓むんだそうです。「ゼフュロス」は、古代ギリシアの神話。これが古代ロオマになりますと、「ファヴォニウス」F av on i us になるんだとか。
「ゼフュロス」は、西風。また春の到来を告げる優しい風とも理解されていたらしい。

東風吹かば 匂おこせよ梅の花 あるじなしとて春忘れそ

『萬葉集』の秀歌であります。
日本の「東風」 ( こち)と似ているのが、西洋の「ゼフュロス」なのです。

傷つける心に香油 いためる眼には眠りあり
鳥々の声のせて 西の風暖かき風はいざなう

英國の桂冠詩人、ジョン・メイスフィールドも、そのように詠んでいます。
「ゼフュロス」の姿は、今も実際に観ることができるのです。
あまりにも有名な絵画『ヴィーナスの誕生』の中に。
『ヴィーナスの誕生』は、1483年頃、ボッティチェッリに描いた名作だと考えられています。現在は、フィレンツェの「ウフィツィ美術館」蔵となっているのですが。
ボッティチェッリの、『ヴィーナスの誕生』は、「ルネッサンスを象徴する絵画」とさえ称される名画であります。
『ヴィーナスの誕生』の中央にはいうまでもなく、ヴィーナスが描かれて。長い長い金髪を風になびかせた構図になっています。
このヴィーナスへ風を送っているのが、ゼフュロスなのです。『ヴィーナスの誕生』の左上に描かれている男が、ゼフュロス。ゼフュロスはただ単に風のみならず、薔薇の花弁をも吹き散らして、ヴィーナス誕生を祝っているのでしょう。
『ヴィーナスの誕生』は、キャンバス上に描かれています。当時、フィレンツェの一般常識として。本宅に飾る絵は板上に描かれた。一方、郊外の別荘に飾る絵は、キャンバスが良いと。
ひとつの想像として、その時代のフィレンツェの富豪が、別荘用にボッティチェッリに依頼したのではないかと、想像されています。ただし、その後、メディチ家が莫大な金額で、その富豪から買い受けたもののようです。つまり、ルネッサンス期すでに、『ヴィーナスの誕生』は名画であると、考えられていたのでしょう。
サンドロ・ボッティチェッリは、1444年頃、フィレンツェで誕生したのだろうと想定されています。
その根拠は。1447年3月1日。「サンドロは二歳」との申告書を、父のマリアーノが書いていることによるものです。
父のマリアーノは、タンナーでありました。つまり、フィレンツェの皮舐めし職人だったらしい。
ボッティチェッリの師匠は、フィリッポ・リッピ。1458年、十三歳で弟子入りしています。
ちょうどその頃、師のリッピに戀物語があって。「ブーティ」という女と戀愛。戀愛はたいへんよろしいことですが。ブーティが「サンタ・マルゲリータ修道院」の修道女だったので、ちょっとややこしいことがあったようですが。
後に、リッピと、ブーティの間に、フィリッピーノのが生まれています。
このフィリピーノを引き取って弟子にしたのが、ボッティチェッリだったのです。
つまりボッティチェッリは、師匠のリッピの息子を弟子にしたわけですね。
ここで、「ゼフュロス」に戻りますと。ゼフュロスの言葉から生まれた生地が、
「ゼファー」z e phyr なのです。ゼファーの綴りはいくつかありまして。z e ph ir とも、
z ep h er とも書くことがあるようです。
英語としての「ゼファー」は1598年頃から用いられているようですが。
もともとはライト・ウーステッドに対する名前だったらしい。「ゼファー・フランネル」の呼び方さえあったほどに。
そこから近代になってウールだけでなく、コットンでも織られるようになって、「コットン・ゼファー」が誕生したわけですね。今では、単に「ゼファー」というと、コットン・ゼファーを指すようになっています。

1950年代末の、サントロペで、ブリジッド・バルドオが、女の子が着るような簡単なドレスであらわれて。それが「ゼファー」だったので、人気に。
その時の「ゼファー」は、ややギンガムに似た生地だったのです。やや乱暴に解釈すれば、
ギンガムをさらに薄くしたものが「ゼファー」なのです。
どなたかゼファーでシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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