ハンドバッグとハワイアン・シャツ

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ハンドバッグは、「手鞄」のことですよね。手に持つ鞄なので、「手鞄」。
肩から下げる鞄なら、「肩鞄」でしょうか。背に背負う鞄なら、「背鞄」ともいえるでしょう。
旅行鞄をはじめとして、鞄はだいたい手で持つことが多いものです。でも、「手鞄」の音の響きと、「ハンドバッグ」の響きとはやはり異なってきます。ハンドバッグには、「女鞄」の匂いがありますからね。「男子禁制の領域」という印象があるのは否定できません。
いかに親しき間であっても、女のハンドバッグを勝手に開けることはなりません。まさに聖域でありましょう。
ハンドバッグも間違いやすい言葉でありまして。書き言葉はともかく、話し言葉では、「ハンドバック」になりやすい。なぜか、おしまいの「グ」が「ク」になりそうで。
これとは逆さまなのが、「デイパック」。デイパックのつもりなんでしょうが、「デイバッグ」。もともと、d ay p ack ですから濁らずに、「デイパック」のはずなんですが。いうまでもなく、「日帰り用品がパックできる」の意味だったのでしょうが。

「………梔子色の綾織金紗の羽織を襲ねて白い肩掛に真赤なハンドバックを持ち……………………。」

永井荷風が、昭和九年に発表した短篇、『日かげの花』には、そのように出ています。これは、「お千代」という女の着こなし。和装にハンドバッグなんですね。
永井荷風著『日かげの花』は、「ハンドバック」と表記された比較的はやい例かも知れませんが。
ハンドバッグが比喩に用いられることもあります。

「實用の意味を抜き去つた女のハンドバッグと同じことになるのだつた。」

大佛次郎が、昭和二十三年に発表した『帰郷』の一節に、そのように出ています。
これは「俊樹」の自嘲として。その頃、選良の読む雑誌だと考えられていた『世界』を、閉じて、巻いたので。つまり『世界』は彼とって一種の装身具だったわけですね。
『帰郷』には、こんな科白も出てきます。

「競争で國民服を着た國民が、あつさりと、アロハ・シャツを着たものだ。」

これは「小野崎」の会話として。これまた一種の「自嘲」だと言ってよいでしょう。
つまり、戦後間もなくのアロハ・シャツには、否定的な意味あいが籠められていたものです。
日本でのアロハ・シャツは、アメリカでは「ハワイアン・シャツ」と呼ぶことが多いものです。
ハワイアン・シャツのはじまりは、1930年代のホノルルで。たとえば、1936年7月には、エルリー・J・チャンが、「アロハ・シャツ」の登録を行っています。
また、同じ1936年に、「カメハメハ・ガーメント」が開業しているの。このあたりが実業としての、「ハワイアン・シャツ」の草創期だと思われます。
つまり、一時代前のアメリカ人にとっての「アロハ・シャツ」は、商品名といった印象だったのでしょう。
そのようなわけで、一般名称としては、「ハワイアン・シャツ」のほうが優勢なのです。
どなたか絹のココナツ・ボタンつきのハワイアン・シャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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