ねこは、キャットのことですよね。フランスなら、「シャ」でしょうか。黒猫。
「シャ・ノワール」というではありませんか。
「猫可愛がり」という表現があります。ねこは昔から可愛がられる動物なんでしょうね。
あるいは、「猫舌」。ねこは熱い食べ物は得意ではないのでしょう。
さらには、「猫撫で声」。誰かが突然に猫撫で声になったら、要注意かも。
絶対に避けるべきは、「猫背」。せめて「人背」になりましょう。
むかしの言葉で、「猫」は藝者。藝者に三味線はつきもので、三味線に猫の皮はつきものだったから。
英語に、「猫を笑わせる」の言い方があるんだそうですね。「イナフ・トゥ・スピーク・ア・キャット・ラーフ」。「ねこが笑いはじめるほど面白い話」のことなんだよか。
同じように。「猫が話はじめる」。「イナフ・トゥ・メイク・ア・キャット・スピーク」。
たとえば、極上のワインだとか。「ねこが話をはじめるくらいに美味しい酒というわけですね。
そういえば。イギリスのチェシャー猫は笑うことになっています。「ライク・ア・チェシャー・キャット」。
1865年に、ルイス・キャロルが発表した『不思議の国のアリス』に出て以来、すっかり慣用句になってしまったものです。
『ねこ』と題された短篇小説が、チェホフのなかにあります。チェホフが1883年頃に発表した物語。
「君、そこに白いねこが見えるだろう? あれはわしのねこだよ! あの物腰はどうだい…………………。」
「彼」の上司にねこ好きがいて。夜中にねこが騒いでも、注意が出来なかった男の話なのですが。
チェホフが出てくる長篇小説に、『望郷』が、あります。大正十三年に、池谷信三郎が書いた物語。
「………チエイホフの短篇を讀んでゐると、何だか、かう美しい、さうねえ、ちよつとシューベルトの音樂でも聞いてゐるやうな氣が致しますわ」
これは「惠吉」が船で出会った夫人の会話として。
池谷信三郎は、「チエイホフ」と書いているのですが。余談ですが。池谷信三郎は、
「いけのや」と訓むんだそうですね。
『望郷』には、こんな描写も出てきます。
「トルコ眞珠のネクタイピンを五六度さしなほしてから、今度はオーストリー製のフエルト帽を克明に佛つた。」
これは、「惠吉」の出かける前の様子。そういえば昔、オーストリー製の高級なソフト帽がありましたね。
「からまつの芽はネクタイピンにほしいくらいだし」
宮澤賢治の詩、『春と修羅』にも、そのような一節が出てきます。
『春と修羅』もまた、大正十三年に発表されています。
宮澤賢治と池谷信三郎とは別に相談があったわけではないでしょうに。
ネクタイ・ピンは、ヴェステッド・スーツによく似合います。1920年代以前のネクタイはまだ、バイアス地ではなくて。緩みやすかった。つまりネクタイ・ピンは装飾であり、また緩み留めでもあったのです。
どなたかネクタイ・ピンが様になるネクタイを作って頂けませんでしょうか。