ドイルとトゥルーズ

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ドイルで、スコットランド人でといえば、コナン・ドイルですよね。
コナン・ドイルは、「シャーロック・ホームズ」の生みの親であります。「ホームズ物」を一度も読んだことがないお方は、少数派であるのかも知れませんね。
もし、コナン・ドイルがどのような人物だったのかを知りたいなら、『コナン・ドイル伝』を読むに限ります。1999年に、ダニエル・スタシャワーが発表した研究書であります。日本語版は、日暮雅通。

「アーサー・イグナチウス・コナン・ドイルは一八五九年五月二十二日、エディンバラのピカーディ・プレイス十一番地の小さな家で生まれた。」

そんなふうに書きはじめられています。
「小さな家」からも想像できるように、コナン・ドイルは必ずしも裕福な家庭で育ったわけではないようです。
若き日のコナン・ドイルが医者を目指したのは、よく識られているところでしょう。それで、「エディンバラ大学」の医学部に。
この「エディンバラ大学」の医学部で出会ったのが、ジョセフ・ベル博士。大学の教授でありました。
ジョセフ・ベル博士は、ホームズのモデルになったと考えられている人物ですね。
ある時。子供を連れたひとりの婦人が、エディンバラ大学にやって来た。
ベル博士はその婦人を観察して、彼女がどこからやって来たのか、仕事を何かを当てたという。『コナン・ドイル伝』には、そんな話も出ています。
1880年、コナン・ドイルは「船医」として、漁船に乗り組んだことが。これまた有名な話ですが。『コナン・ドイル伝』には詳しく綴られています。
当時、エディンバラ大学の友人に、クロード・カリーという生徒がいて。「船医」になる手筈ができていた。が、カリーはある事情で船に乗れなくなった。それで「船医」の仕事を、
コナン・ドイルに譲ってくれたんだそうです。
急遽、ドイルは捕鯨船「ホープ号」に乗り込むことに。
1880年代の捕鯨は、主に「髭」に高値がついたので。たとえば、コルセットの芯材だとか。とにかくプラスチックのない時代、鯨の「髭」は、便利な材質だったのですね。
コナン・ドイルが、1893年に発表した小説に、『ナポレオンの影』があります。
『ナポレオンの影』は、ホームズ物ではなくて、歴史小説。ドイル個人としてはむしろ、
歴史小説を書きたかったんだそうですが。この中に。

「この連隊は制服として赤い上着とタータン地のズボンを着、本部はグラスゴーにあった。」

「この連隊」とは、「第七十一高地軽歩兵連隊」を指しています。英語で申しますと、
「71ハイランド・インファンツ」であります。スコットランド兵の連隊なのでその名前があり、制服もまたスコットランド衣裳を基にしているのです。
ここでの、「タータン地のズボン」とは、「トゥルーズ」 trw es のことかと思われます。
脚に沿って細く仕上げられたトラウザーズ。もちろんスコットランドの民族衣裳。
「トゥルーズ」は、1568年頃からの用語であるらしい。
アイルランド語の「トゥリウス」 tr iūs から来ているとも。さらには古いゲール語の、
「トリバース」 tr i ubh as が語源であるとも。いずれも「ズボン」の意味だったそうです。
どなたか細い細いトゥルーズを仕立てて頂けませんでしょうか。

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