ホールとポルカ

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ホールは、広間のことですよね。たとえば、ダンス・ホールだとか。
ダンス・ホールは、踊りのための広間なので、「ダンス・ホール」。日本の場合、ふつうの家庭にホールはあまり見かけないので、ただ単に「ホール」といってダンス・ホールを意味したものです。
1947年に、ディック・ミネが歌って、拍手喝采となった歌に、『夜霧のブルース』があります。このなかの歌詞に。

♬ 花のホールで踊っちゃいても………………。

と出てきます。この「ホール」もまた、もちろんダンス・ホールのことなんですね。
そうではなくて、館における「ホール」h all 。
1949年に、池田 潔が書いた『自由と規律』の中に、ケンブリッジ大学の「ホール」の話が出てきた記憶があります。『自由と規律』は、池田 潔の代表作であり、もっとも多く読まれた書にはないでしょうか。
もし、昭和の典型的な「紳士」を挙げるとするなら、第一番目に、指折られる人物だと思われます。
大正九年。池田 潔、十七歳で、英國留学。「リース校」を終えて、ケンブリッジ大学に入っています。ケンブリッジ大学卒業後、ドイツの、「ハイデルベルク大学」に学んだ後、帰国の途についています。
ある時、ケンブリッジ大学在学中の、池田 潔、倫敦に出て、散歩。ふと、ある店のラジオに目がとまる。
支払をしようと財布を開くと、勘定が足りない。店の主人は、「君の学校はどこだね?」と聞く。
「ケンブリッジです」と、素直に答えると。主は態度を改めて。
「御代はいつでも結構です。ラジオはどうぞお持ち帰りください」と言ったという。
言われたほうの池田 潔は、すぐに寮に帰って、ラジオ店に、金額を届けたそうですが。
池田 潔著『英国の紳士道』という随筆に出ている話なのですが。
ホールが出てくるミステリに、『災厄の町』があります。1942年に、エラリイ・クイーンが発表した読物。

「だれかがホールのドアから、台所にはいり、食器室へ行って……………………。」

もちろん、エラリイ・クイーンの科白なんですが。
また、『災厄の町』には、こんな描写も。

「ライツヴィル附近の農家でよく使われている青い水玉模様のハンカチで、しきりに顔の汗をふいた。」

これは、不動産業者の、J・C・ペティグルーの様子。
「青い水玉模様のハンカチ」。私は勝手に、ポルカ・ドットのハンカチを想像しているのですが。
ブルーのポルカ・ドット。佳いものですよね。ネクタイにも、多く用いられる柄です。
ポルカ・ドットのネクタイを結んで、ホールに立って。それが果たして、様になるでしょうか。私の場合、それが、問題。

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