シーモアは、人の名前ですよね。名前でもあり、また姓でもあります。
S eym o ur と書いて「シーモア」と訓むんだそうですね。もともとは、十三世紀の、ノルマンディー、サン・モールの豪族で。やがてイングランドに渡って成功した「シーモア家」に端を発している貴族名なんだとか。
シーモアが出てくる小説に、『ズーイ』があります。
「両方とも、ぼくが憶えているところでは、ずっとシーモアとバディの部屋の中の、シーモアの机の上に置いてあったんだ。」
サリンジャーが、1957年に発表した『ズーイ』の一節です。これは、ある本を探している場面。この『ズーイ』は、短篇で、やはりサリンジャーが先に書いた『フラニー』の続篇とも言える小説。
『フラニー』は、1955年『ニュウヨーカー』1月29日号に掲載。『ズーイ』は、1957年『ニュウヨーカー』5月4日号に掲載されたものです。
当時の『ニュウヨーカー』は、厳選主義でしたから、その頃からすでに編集者の間では、サリンジャーが高く評価されていたことが、窺えるに違いありません。
1957年発表の『ズーイ』に、こんな描写が出てきます。
「ズーイは髪の毛を濡らして櫛を入れ、ダークグレイのシャークスキンのズボンをベルトをつけないままではき…………………。」
ということは、おそらくサスペンダーも無しなのでしょう。あるいは、ベルトレスなのか。わざとラフな恰好を狙ってのことなのか。
それはともかく、ズボンが「シャークスキン」だったことは、間違いないでしょう。シャークスキン sh arksk in は、鮫の皮を思わせる生地のこと。生地の表面には光沢があります。もしスーツ地なら、初夏にふさわしいものかも知れませんが。
レイモンド・チャンドラーの『湖中の女』にも、「シャークスキン」が出てきます。『湖中の女』は、チャンドラーが、1943年に書いたハードボイルド。
「男はトランクスを穿き、女はきわめて大胆なシャークスキンの水着らしいものを身につけていた。」
これは、マーロウがある写真を眺めている場面。写真は、夏の砂浜なので、「シャークスキンの水着」なのです。
つまり、1940年代のはじめ、マーロウは、チャンドラーは、「シャークスキン」を知っていたのでしょう。写真を見て「シャークスキン」と分かるほどに。私の勝手な、想像ですが。もともとはチャンドラーの愛妻、シシーからの情報でしょう。シシーはとてもモオドに関心のあった女性だったそうですから。
シャークスキンのスーツを着て、サリンジャーの初版本を探して行きたいものですね。