ユウモアとユニオン・スーツ

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ユウモアは、おかしみのことですよね。h um o ur と書いて、「ユウモア」と訓みます。ただし、アメリカ英語では、h um or と綴るんだそうですが。
ユウモア h um o ur は、ラテン語の「フモール」 h um or と関係があるらしい。ラテン語の「フモール」は、「湿り気」だったという。
人と人との関係は、あまり「乾き」すぎてもいけないのでしょう。程よい「湿り気」があったほうが、うまくゆくのかも知れませんね。
つまり上手な人間関係にはユウモアが、欠かせない。私などもいつも、「ユウ・モア!」と言われているような気がしてなりません。ただ、上品なユウモアもあれば上品ならざるユウモアもあるようですが。つまり上品なユウモアはなかなか難しいものなんでしょうね。
世の中には、ユウモア作家という存在があります。いや、たいていの作家は、一度や二度、ユウモア小説を書いているものです。ちょうど裸体デッサンをしなかった画家が少ないように。
その中でもことに「ユウモア小説」を得意とした作家に、牧 逸馬がいます。牧 逸馬の本名は、長谷川海太郎。明治三十三年一月十七日。今の佐渡に生まれています。
長谷川海太郎には三つの筆名があって。牧 逸馬で、主にユウモア小説。林 不忘で、時代小説。谷 譲治で、実録小説を書いた人物。というよりも、書きに書いた作家。「丹下左膳」の生みの親は、林 不忘であります。
その牧 逸馬が、昭和三年に発表したユウモア小説集に、『紅茶と葉巻』があります。あくまでもユウモア小説集なのですが、巻末には、「冗句集」も添えられていて。たとえば。

済度し難い

妻「この時計は正札八圓のを五圓に負けさせたのよ。安價いでせう。」
夫 「それはお前、ケネスの店で三圓で賣つてる物ぢやないか。」
妻 「さうよ、知つてるわ。だけどもあそこぢや負けつこないんですもの。」

もう、ひとつ。

教育の欠陥

ビリイ 「もう決して學校へ行かない。行つたつて何にもならない。」
おやぢ 「何故?」
ビリイ 「だつて綴方なんて覺えつこないもの ー 毎日先生が字を變へるから。」

なんだかこれは私の小さい時の話にも似ているようですが。
ユウモアが出てくる小説に、『英国諜報員 アシェンデン』があります。1928年に、サマセット・モオムが発表した物語。
偶然のことではありますが。牧 逸馬の『紅茶と葉巻』と同じ年に出版されているのですね。やがて今から百年ほど前のことですが。

「ただ、アシェンデンは多くのユーモア好きと違って、他人のユーモアに寛大だったので、Rに調子を合わせることにした。」

これは上司の「R」がアシェンデンに、まずい冗句言った。でも、アシェンデンはそれをやり過ごした場面。
また、『秘密諜報員 アシェンデン』には、こんな描写も。

「シャツが四枚に、ユニオンスーツが二着、パジャマがひと組、カラーが四本ですよ。」

これは、アメリカ人の、ハリントンの科白。時代背景は、1910年代のロシア。「ユニオンスーツ」は、その時代の、上下がひとつなぎになった下着のこと。
イギリスでいうところの、「コンビネイションズ」。1910年代以前の男たちは、たいていコンビネイションズか、ユニオン・スーツを、下着としたものです。
ここでなにかひとつ、ユニオン・スーツのユウモアが浮かぶといいのですが……………………。

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